2024年04月24日( 水 )

あえて問う。「日刊スポーツ」はなぜハリルホジッチ監督を攻撃するのか~サッカー日本代表(後)

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もはや私怨としか思えない「因縁つけ」

 次はこの記事だ。これは実にひどい。

ハリル高まらない“求心力”/歴代担当記者振り返る
(9月3日配信)

 この記事は全体を通して非常に攻撃的なトーンで、もはやハリルホジッチ監督に個人的な恨みがあるとでも解釈しないと理解できない。

「W杯に導いた夜に突然、家族の問題を打ち明けて辞任を示唆したかと思えば、一夜明けた朝食会場では『ロシア、ロシア』と目をつり上げたという」

 またぞろ「辞任を示唆」などという表現を使って読者をミスリードしようとしている。そもそも日刊スポーツ自体、8月31日の会見を報じた記事では「辞任」という言葉を使っていない。

ハリル監督が前代未聞の会見「プライベートで問題」
(8月31日配信)

 「この試合の前に帰ろうかなと思ったくらい」という言葉を曲解すれば、「辞任を示唆」ということになるだろうか。となると、カーニバルのたびにブラジルに戻っていたジーコ元代表監督など、何回辞任すればいいのか見当もつかない。

日刊スポーツ 2017年9月5日号

 先に挙げた「目をつり上げた」だけにとどまらず、「問い詰めたりした」「自身のことは棚に上げて」「詰問した」「上から見ている」。ネガティブな含意を込めた表現をこれでもかと使い「ハリルホジッチは高慢で激しやすく、日本人を見下している」という人物像を捏ね上げるのにずいぶんと熱心である。これはまさに、典型的な印象操作というものだ。さらにこの記事は「『まだ20世紀のサッカー』と日本を上から見ている指揮官が、どんな戦術で世界を驚かすのか。楽しみにしている」などという捨てゼリフで締めくくられている。こちらこそ、このような記事を公表できるその神経に、ほとほと驚かされている。

 ……まだまだ枚挙に暇のないところではあるが、これ以上続けるとこちらも同じダークサイドに落ち込みそうになってしまう。これくらいにしておこう。

 はたして何のためにこのように一方的な誹謗中傷を、公器たる新聞紙面を使ってまで繰り返すのか。ハリルホジッチ監督は前出のジーコ元監督のように日本での人気や知名度が抜群というわけでもなく、ザッケローニ元監督のようにマスコミの前で笑顔を振りまくこともない。選手選考や起用法に疑問が残ることもあったが、それはどの監督も同じこと。サッカー日本代表監督としての主たる任務は、「W杯予選をクリアして本戦に出場する」「本戦ではグループリーグを突破する」ことだけであろう。任期途中で就任し、最終的に本戦出場を勝ち取ったハリルホジッチ監督には褒めるべきところこそあれ、「日刊スポーツ」のように無理やりに人格批判を繰り広げるべき理由などどこにもない。
もし新聞を売るため、アクセスを稼ぐためということであれば、さもしいながらも理解できなくはない。残念ながら新聞も立派な斜陽産業だ、それもまた営業戦略ということであろう。あとは読者側が、このような程度の低い炎上商法につきあわないという、まさに基本的なメディアリテラシーを発揮することだ。

 敬して遠ざける。メディアという公器を凶器として、反撃してこない(はずの)公人を殴りつけようという一部のスポーツマスコミには近寄らないのが一番だ。彼らも自分たちの行為がどう人目に映るかを意識しているのか、自分たちがハリルホジッチ監督に面と向かって批判された1日の会見を報じる記事では、メディア批判の部分をそっくり削ったり意図を捻じ曲げて掲載しているようである。自覚があるだけまだマシなのか、どうか。
サッカーを愛する者として、このようなくだらないことに付き合わずに、代表のサッカー、Jリーグのサッカーを見よう。自分たちが心を託して応援する選手たちがピッチを駆ける喜びを体感するために、スタジアムやテレビの前に足を運ぶとしよう。

(了)
【深水 央】

 
(前)

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