2024年04月19日( 金 )

溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか(9)~巨星堕ちる・ソロン田原学氏(7)

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10年過ぎれば、当然のごとく会員権返還問題が生じる

 1990年12月、ザ・クイーンズヒルゴルフクラブがオープンした。田原氏にとっては、3つ目のゴルフ場のオーナーになったことになる。まさしく、ビジネス人生の絶好調を誇っていた。
 故人は筆者に、自信満々に語ってくれたことがある。「200億円の投資を行った。将来、ゴルフ場から別の目的への転換をできるように、または分割売りが可能なように、幅広く土地を買った」と。たしかにゴルフ場の敷地は110万m2と広く、ゴルフ場敷地内の遊休地を物流基地に転用してもいいくらいの広さは残っていた。

 ザ・クイーンズヒルゴルフクラブは、まず交通の便が良い。西九州自動車道・前原インターから車で5分。18ホール7,054ヤードのコースを有しており、「広大な敷地で、ゆったりとした感がある。アメリカのコースを意識しているのであろう」と業界関係者は評価する。設計コースのアドバイザーには女子プロゴルファーの岡本綾子氏を起用して、女性客にも配慮してきた。コースランキング評価では、福岡都市圏周辺ではAの下位にランクされていた。

 しかし、コース評判は良くとも、会員権返還のタイムリミットの10年が押し寄せてくる。まずは、普通のゴルフ場よりも投資額で倍の大きさである。総額200億円(田原氏が常々、豪語していた)だ。ざっくりいえば、ソロンからの貸付80億円、会員権で120億円を調達したようである。15年11月段階で、会員数は約1,300名(1,555口)と言われている(多少の変動はある)。

 2000年は、会員権返還年に当たる。この年を超えて2年が過ぎた02年あたりから、会員からの返還交渉に関する動きが表面化し出した。会員が「買い取ってくれ!!」と行動を始めた。だがゴルフ場側は、場当たり的な応対に終始。対応策として、「1つの会員権を3分割して、返済は10年待ってください」というものであった。この回答では、メンバーたちが承服するはずもない。

ソロンの事業があってこそ

 筆者が立ち会った交渉の断面を紹介しよう。当時、丸美(本社・中央区)の金丸社長は会員権3口(4口かも)を持っていた。マンション管理業が本業であった。ゴルフ会員権を買ったのは、ソロン・田原社長が丸美に管理物件を依頼するという“ギブアンドテイク”の約束があったからである。裏を返すと、ソロン事業を背景にしてゴルフ会員権を販売していたのだ。
 金丸社長に「ゴルフ会員権の返還延長に関しては、どういう態度をとるか?」と投げかけた。「田原社長は、我が社に対して約束不履行がある。あと600戸の管理物件をこちらに委託していないのだ。10年前、1,000戸の管理戸数を与えるというから、ゴルフ会員権を買ったのである。残り600戸の委託がないと、返還延長には応じられない」と旗幟鮮明にした。
 金丸氏の要望を、故人に伝えた。「コダマさん!!ありがとう。了解した。こちらの約束は守る必要がある。後で金丸社長と会おう」と答えた。さすが、この頃までは田原社長の行動には鈍さはなかった。
 5カ月が過ぎて、金丸氏に確認した。「おかげで田原社長がこちらの要望を聞いてくれたから返還延長に応じた」というコメントをいただいた。ビジネスのギブアンドテイクの真髄を目撃した感じであった。

会員権返還延長の交渉に当たった人たちは疲労困憊

 丸美は、ソロンとのビッグなビジネス関係があったから了解できた。しかし、誰も彼もが商取引があって、納得して会員権を買ったわけではない。「あのソロンの田原社長が経営するゴルフ場だから間違いはないだろう」と信用して会員になったのが大半ではないか!!また、資金援助した福岡シティ銀行から「買いなさい!!金を出すから買いなさい」と迫られて、購入した経営者たちもたくさんいたのだ。

 02、03年と返還延長交渉が本格化する。ザ・クイーンズヒルゴルフクラブ側の具体的な提案は、「10年後返還、3分割」案であった。丸美のようなビジネス絡みの会員は「まー、しょうがないか」と妥協して、承諾印を押す。だが、商売と関係ない一般メンバーから「10年後に支払いできる裏付けは何か!!」と厳しい問い詰めがあったのは、当然の成り行きである。

 田原社長も、関係者に承認を求めて頭を下げて回った。同氏のビジネス人生において、約束不履行で頭を下げたのは初めての体験であっただろう。辛い心境はいかがなものであっただろうかと、今になっては推測するしかない。ただ、窮地にあっても、献身性を発揮してくれたメンバーがたくさんいたのは、故人の人柄によるものか!!この局面での嫌な役を引き受けてくれたのは、ビジネス打算を超えた動機によるものだ。

 (1)(2)に登場した高橋利彰氏は、毎日4~5件回って「延長を認めてください」と土下座したそうだ。その熱心さに根負けして、「一度だけ応じよう」と承諾してくれたとか。田原氏を心服しているある銀行OBも、懇願回りを引き受けてくれた。こうして、1回目の会員権返還延長の打診の流れが大半承諾となったが、交渉に当たった人たちは疲労困憊状態になった。
 しかし、10年も経たないうちに『永久債』なるものが現れて、1回目の延長交渉人たちは唖然とした。1回目は、田原氏も陣頭指揮を執り、ソロンの事業が背景にあって交渉が成功しただけなのであった。

(つづく)

 
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