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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (2)
経済小説
2010年12月 9日 10:17

≪役員の紹介≫

本編に入る前にDKホールディングスの民事再生に関わった取締役を紹介したい... 本編に入る前に、状況の理解を容易にするために、DKホールディングスの民事再生に関わった取締役を紹介したい。なお、登場人物の職位については、その時点のものを用いた。

 DKホールディングスは、創業者で代表取締役の黒田 明会長が一代で築き上げ、そして世界不況の前にあえなく挫折した不動産開発会社であった。
 黒田は、昭和30年、宮崎県の、現在は延岡市に編入された山村で、貧しい農家の五男坊として生まれた。
 小学生の頃、家族で使う水を、肩に両天稟を食い込ませて井戸のある谷あいから山の中腹にある自宅まで運び上げるのが黒田少年の日課だった。
 黒田少年が小学6年生の頃だろうか、何とか水汲みを楽にできないかと考えた黒田少年は、母親に小遣いをせびり、どこからか中古のポンプを買ってきた。そして、自分で自宅の庭に井戸を掘り始めた。何日かの苦闘のすえ、井戸から水が湧き、以降黒田少年は水汲みの日課から解放されることとなった。
 現実を当たり前に受け止めず、何か工夫をすれば楽になる、と黒田少年はそのとき実感した。
 黒田少年の父は、黒田少年に、畑仕事はいつも他人と違うことをやるのがいいと話していた。皆が大根を作っているときには人参を作り、そうすれば出荷量が少ないため高く売れる。そして、皆が人参は儲かるといって人参作りを始めた頃には父は、また別の作物を作るというように。黒田会長は、上場した後、方々で父のこの話を語っているが、この原体験が、後に、オリジナリティあふれる事業での成功へ、黒田を導くこととなった。

 黒田少年が中学生になったとき、父は黒田少年に、お前を進学させる金はないので、お前は大工になれ、といった。父は、経済的には恵まれない環境ながら、ものづくりが好きで工夫が得意な黒田少年の性格を見抜き、与えられた環境のなかで最善の道を黒田少年に選ばせたのである。
 ちなみに黒田少年は小学校、いや中学校の最初の頃まで、成績は学校でトップクラスだったという。しかし、踏ん切りのいい性格ゆえか、大工になろうと決意したとたん、特に不要と思われた英語などはまったく勉強しなくなり、その後英語の成績は凋落の一途をたどった。
 黒田は中学校を卒業後、職業訓練校に入校し、勇躍大工への道を歩み始めた。もともと地頭がよく、工夫の効く黒田には、大工の職業訓練は大変面白いことであった。黒田はあっという間にさまざまな技能を身に着けていった。
 1971年、黒田は職業訓練校を卒業後、見習いとして大分市内の工務店に就職し、お礼奉公も含めて5年間を勤めた。

 ある大分市内の名士の自宅の工事に携わったときのこと、黒田は屋根の工事の際、軒先部分が瓦の重量で垂れ下がることを想定し、その下がり量を計算し、その分反りを入れた垂木を仕上げた。それを見た先輩から、「何だ、この曲がった垂木は!」と怒鳴られた。そのためやむを得ず、改めてまっすぐな垂木で施工をすると、明らかに軒先が垂れ下がっている。そこで黒田の計算による垂木で施工しなおして瓦を積むと、きちんとまっすぐな軒先になった。
 このようにして、信念は貫くという黒田のポリシーが形作られていった。

 工務店の親方は、黒田はどこまで伸びるのだろう、と無限の可能性を予感した。
 5年間の年季が明けた後、黒田はフリーとなり店舗の内装業等を手がけ、コンサル料をもらうような仕事で20代前半にして3LDKのマンションに住み、夜は歓楽街で景気よく遊んでいた。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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