2024年05月04日( 土 )

【企業研究】プラザ赤坂跡地売却 注目される他店舗の行方

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(株)宣翔物産

 福岡都市圏でパチンコホール「PLAZA(プラザ)」を8店舗展開する(株)宣翔物産。昨年5月に閉店したプラザ赤坂(中央区赤坂)をJR九州に売却している。地場トップクラスの集客力を有する同社だが、業界大手による寡占化が進むなか、これまでとってきた独自の出店戦略の真価が問われている。

創業50年を超えた宣翔物産

 (株)宣翔物産は2022年9月に創業50周年を迎えた。今でこそJR博多駅前や天神サザン通り沿いなど、福岡市内の好立地で複数のホールを展開している同社だが、創業の地は北九州市戸畑区。1972年にJR戸畑駅前で戸畑プラザをオープンしたのが始まりだ。
 戸畑プラザオープン後、80年に香椎プラザをオープンさせると、創業10周年の節目となる82年に(有)宣翔物産の商号で法人化。86年には筑紫プラザ(博多区東光寺町)をオープンさせる一方で、1号店である戸畑プラザを閉店し、翌87年には拠点を北九州から福岡へと移している。

 以降、スクラップアンドビルドを繰り返し、95年に現商号に変更。福岡のホール経営業者のなかでは、決して目立つ存在ではなかったが、九州の大動脈、国道3号線沿いにプラザ本店(博多区西月隈)をオープンさせ、安定した集客を実現したことで注目されるようになった。

ホテル・クリオコート博多(1階・地下1階がプラザ博多)
ホテル・クリオコート博多
(1階・地下1階がプラザ博多)

    その後、2003年にプラザ博多、翌04年にプラザ天神をオープン。JR博多駅前と天神サザン通り沿いという稀少な立地を抑えられたことは、同社にとって財産となった。両店オープンのきっかけは、01年に会社更生法の下で再建を目指していた(株)クリオの買収だ。クリオは、ホテル・クリオコート博多と平和会館(中央区天神 現:プラザ天神)を所有しており、これらを引き継ぐことになった宣翔物産はクリオコートの1階と地下1階、そして平和会館を改装することで、プラザとしてオープンさせた。両店とも福岡市内では圧倒的な交流人口を誇る場所にあるため、プラザ本店同様、安定集客の状態を維持している。また、プラザ博多に関しては、パチンコ・スロットに興味のある韓国人観光客の来店が相応にあったようで、コロナ禍明けでこうした“パチンコ観光”需要の回復度も注目される。
 買収したクリオ以外にも、関連会社が2社あり、(有)センコーポレーションは94年設立で、貸ビル経営やイベント企画、映像制作などを行っていた。(株)アスパイアコンサルティングコーポレーションは05年設立で、パチンコ景品の買取・売却や、大型ビジョンによる広告企画などを行っていた。両社ともに、18年に宣翔物産に吸収合併された。クリオコート博多の運営を手がけていたクリオも19年に吸収合併されており、当時宣翔物産がグループ再編を通じて、経営の合理化を図っていた様子がうかがい知れる。

 宣翔物産が関連会社2社を吸収合併した18年、創業者の安部南鎬(なんこう)氏に加えて、専務取締役だった安部炳鎬(あきら)氏が新たに代表取締役に就任。炳鎬氏は代表取締役社長として、南鎬氏とともに経営に携わっていくことになる。

 同社は創業50周年の節目となる22年を第二創業期と位置付け、テーマとして「プラザを壊す。プラザを創る。」を掲げた。大胆な言い方にも見えるテーマだが、その本気度は驚きをもって福岡のパチンコ業界内外に伝わることになる。

プラザ赤坂閉店に衝撃走る

プラザ赤坂
プラザ赤坂

    22年5月、プラザ赤坂の閉店が告知された。プラザ赤坂はパチンコ・スロット設置台数1,000台の巨艦ホール。天神~博多を結ぶ福岡市内の幹線道路の1つである国体道路沿いで福岡市営地下鉄空港線・赤坂駅にも近いことから、地域のランドマークとしても存在感を発揮していた。

 そんなプラザ赤坂の閉店は業界関係者や遊技客に驚きをもって受け止められた。先述の通り好立地でもあり、高い集客効果が期待されていたからだ。もともとこの場所では、21世紀グループ(熊本)がパチンコホール「コア21赤坂店」を営業していたが、計画通り収益を上げられず、11年6月に閉店。その後を引き継ぐかたちで出店したのが、プラザ赤坂だった。宣翔物産としては、市の中心部に大型店を構えることで競合他社が参入してくるのを防ぐと同時に、既存のプラザ長浜との回遊性を創出する意図があったと見られる。

 ところが、業界関係者からは稼働の低さが指摘されている。改めて立地を見てみると都心部ながら近隣は富裕層の多いエリア。関係者からはエリア内の遊技人口自体を疑問視する声があがっていた。加えて、交通量の多い幹線道路沿いだが車での入店は左折側からに限定される。市場性への疑問や集客へのハードルの高さはコア21赤坂閉店時から懸念されていた。ただし、好立地だけに活用法には困らない。

 跡地はコインパーキングとして活用されている。規制強化やコロナ禍の影響を受けたとはいえ喫緊の現金化を必要としていなかったと見られる。だが、閉店後は売却説が絶えなかった。プラザ赤坂の正式な住所は赤坂1丁目の1。土地面積は約800坪で、マンション開発には十分すぎる規模を有しており、福岡市内において開発用地の取得が厳しさを増している状況を考えると、デベロッパーからすれば喉から手が出るほど欲しい立地だ。

 こうしたなかで、業界関係者などの間でJR九州への売却説が浮上していた。売却額は50億円とも80億円ともいわれている。近隣エリアの大名では、複合ビル・福岡大名ガーデンシティや、同施設の目玉となる、ザ・リッツ・カールトン福岡が誕生。ビジネスマンや富裕層の流入に期待できることから、プラザ赤坂跡地では、MJR TOWERなど、同社のハイグレードマンションブランドの開発が行われるものと推察される。

プラザ赤坂跡地
プラザ赤坂跡地

潤沢な資産と業績の低迷

 宣翔物産は福岡市内の好立地に店舗を構えており【表1参照】、市内の地価が上昇傾向で推移していることを考えると、資産背景は潤沢といえる。とくに九州・福岡の玄関口であるJR博多駅の筑紫口を出てすぐの場所にある、クリオコート博多(1階と地下1階がプラザ博多)は「欲しいところは200億円でも買うでしょう」(ホール経営A社)との声や、JR九州もプラザ赤坂ではなくクリオが本命のはずとの推測もあるほどで、その不動産価値は計り知れない。クリオの買収によって一等地を手にした宣翔物産だが、実は博多駅南のプラザⅢも不動産所有に至るまでに同業他社との紆余曲折があった。

 プラザⅢは当初、ホール経営の(株)キング・オブ・ラッキー(福岡市博多区/以下、キング)が所有する複合ビルに賃貸で入っていたが、キングの業績不振を受け、プラザⅢの営業継続が困難になることを懸念した宣翔物産が、キングから不動産を買い取ったという経緯がある。

 他社のピンチを自社のチャンスに変えることで、福岡市内におけるシェアを高めてきた宣翔物産だが、減収傾向が続いている【表2参照】。1円パチンコ・5円スロットなど低貸し営業の拡充で間口は広がっていくが、4円パチンコ・20円スロットと比較して、単純に売上は4分の1に減少するため、収益は伸び悩むことになる。新台購入や電気代などの費用負担が避けられないなか、風営法改正などの規制強化にともなう客離れが加速。こうしたなかで、同社は15年に天神西通り沿いに所有していた不動産を福岡スタンダード石油(株)に売却。売却価格は不明だが、15年当時で、銀行から極度額36億円の根抵当権が設定されていた。

 その後グループの再編を通じて経営基盤の強化に乗り出したところで、20年のコロナ禍と改正健康増進法への対応(喫煙ブースの設置などの分煙環境整備)を余儀なくされた。同社に限らず、パチンコ業界全体にとって、18~22年の4年間は失われた4年といえるだろう。

 現在、宣翔物産はホール経営を主とするアミューズメント事業と、クリオコート博多の経営を手がけるホテル事業の2つの事業運営を行っている。アミューズメント事業では、福岡市内7店舗(内訳:博多区4、中央区2、城南区1)、古賀市内1店舗の福岡県下8店舗体制を整えている。大手ホール経営業者は、M&Aを活用し商圏の拡大を進めるが、同社は福岡県外への進出は考えていないという。今後は、タイラベストビート(ワンダーランド)やフェイスグループ、ユーコーラッキーグループといった地場業者間での競争に加えて、九州で急速に店舗数を増やすNEXUSグループ(D’ステーション)とのシェア争いも激しさを増してくことが予想される。細る市場で地域密着へのこだわりが吉とでるか凶とでるか、まったくの未知数だが、稀少な立地を押さえていることは、同社が苛烈な競争を生き抜く助けになるはずだ。

【代 源太朗】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:安部 炳鎬
所在地:福岡市博多区西月隈3-6-17
設 立:1982年11月
資本金:6,350万円
売上高:(21/10)418億円

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