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自立する地域社会

【飯塚特集】企業誘致や中心街活性化などで飯塚市が目指す先は(前)
自立する地域社会
2011年8月29日 11:29

 かつて産炭地として隆盛を極めた飯塚市。しかし、エネルギー転換のなかで経済構造の変化を余儀なくされ、人口規模も一進一退の状況が続いている。そのなかでも、企業誘致や中心街活性化などで再建を模索する同市の取り組みから、今問われている地域力について考える題材としてみたい。

<交通の要衝として>

福岡県飯塚市 福岡県飯塚市は、1889年4月1日町村制施行により穂波郡飯塚町・大谷村・二瀬村・鎮西村・上穂波村・内野村・大分村・穂波村嘉麻郡笠松村・庄内村・頴田村が発足したのが起源。1896年2月26日、郡制施行により上記町村がすべて嘉穂郡に属し、1909年6月1日飯塚町と笠松村が対等合併。新町制による飯塚町となる。1932年1月20日、飯塚町が全国で111番目の市として市制を施行し、飯塚市となった。その後、06年3月26日、旧飯塚市・穂波町・筑穂町・庄内町・頴田町が合併して、現在の飯塚市が誕生した。

 東は田川市を中心とする田川圏域、西は福岡市を中心とする福岡都市圏、南は嘉麻市、北は直方市を中心とする直方・鞍手圏域にそれぞれ接している。また、北九州市の黒崎駅を起点とするJR福北ゆたか線が南北に走り、国道200号線、201号線、211号線が市街地で交差した交通の要所だ。とくに江戸時代、長崎街道の宿場町が2カ所(飯塚宿、内野宿)整備されて栄えたことで交通が発達した。この長崎街道は、長崎から江戸まで砂糖や菓子を運んだことから「シュガーロード」とも呼ばれている。

 明治以降、日本の近代産業の発展を支えたエネルギー源である石炭の供給元として、筑豊炭田の中心地として隆盛を極めた。炭鉱労働者の流入で人口も大きく増え、彼らの疲れを癒す菓子メーカーとして、ひよこ、千鳥饅頭、さかえ屋など、今では全国区の企業もたくさんできた。炭鉱の繁栄は麻生太吉・貝島太助・安川敬一郎そして伊藤伝右衛門など日本有数の実業家・資産家を生みだし、もともと炭鉱労働者の娯楽施設で1931年に伊藤隆が再建した嘉穂劇場は、今でも飯塚文化の1つとして営業を続けている。

(有)シエスタクラブ 代表取締役 中山 比佐雄 氏 今回、『漫画 伊藤伝右衛門物語』制作委員会事務局長を務めた、建築設計を手がける(有)シエスタクラブ代表取締役の中山比佐雄氏は、「旧伊藤伝右衛門邸は観光資源としてはもちろんだが、もう一度飯塚がたどってきた歴史をきちんと理解するうえでも重要な施設だと思う。地元の歴史を教えるきちんとした教育も必要だ。行政、民間がベクトルがバラバラのなか、もっと地元に愛着がわくような仕組みをつくらなければならない」と地元への想いを語る。

(つづく)

【大根田 康介】

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