<佐賀の地に骨を埋める覚悟での赴任から、人々の後押しで起業へ>
(株)高太の代表取締役社長の高尾平八郎氏は、福岡に本社を構え鋼材販売などを手がけていた会社に勤務していた。1987年4月に佐賀営業所長として佐賀に赴任してきたのが、佐賀との大きな関わりの一歩であった。高尾社長は赴任当初から佐賀に骨を埋める覚悟で赴任してきたとのことで、営業所長として営業基盤を固めつつあった。しかし、90年12月、勤務先の会社が事実上の破綻に追い込まれた。
突然、会社がなくなる――。そんな失意の底に落ちていた高尾社長を支えたのが、営業所長時代に知り合った佐賀の取引業者や関係者たちだった。心強い支援をもらい起業するために奮起。91年2月に(株)高太を設立した。社名の由来は、当初は高尾社長の「高」と「大」にする案があったのだが、創業から多大な支援をしてくれた取引会社の社名「太」を一文字いただいて、社名とした。
高尾社長を含めてたった3人での船出だったが、最初は保守的でとっつきにくいと揶揄される佐賀の人々が、仕事を通じて仲良くなると全力で応援してくれた。「ありがたいことに、さまざまな人たちが救いの手を差し伸べてくれた。」と、起業時代のことだが、今でも感謝の念を忘れていない。
設立当初から年商約10億円の規模にまで伸ばすことができたのも、高尾社長が営業所長時代に人脈を大事にし、佐賀の人たちと一緒に汗を流したことが要因にほかならない。一度深く付き合えば、全力でお付き合いしてくれる。そんな佐賀の人々に対して高尾社長が培ってきた信頼が、かたちを変えて帰ってきたことと言えよう。
加えて、設立した同社にとって、どうしてもやらなければならないことがあった。起業する半年前の90年7月1~2日にかけて豪雨が発生。7月1日13時から24時間で佐賀市駅前中央において303mmを記録するほどの大雨が降ったのだ。そのため、武雄川、牛津川堤防の決壊し被害は住宅の床上浸水817戸、床下浸水1万142戸に及んだ。すぐに各所で復興作業が始まったのだが、「お世話になった佐賀に、今こそ恩返しすることができる」とがむしゃらに復興に務めた。その仕事ぶりがさらに信用と信頼を生み、営業強化につながったことは当然のことだろう。
今では9名にまで増加しており、しっかりと地元に根を張った事業展開を行なっている。
<人材不足・職人不足を補う商材販売の促進>
現在、同社の年商は約10億円。取り扱うのは鋼材販売、リース、コンクリート二次製品などがある。近年は建設資材の大手メーカーの信頼が増え、取引先の窓口が広がっている。高尾社長だけの営業ではなく、従業員の営業能力も上がっているのも好材料である。官庁からの公共工事も受注しており、幅広い事業の確率と安定した受注体制ができつつあるという。
好調な建設業界の市況を反映して、業績は伸びている。しかし、疲弊していた時期には業界離れが顕著となり、とくに専門の工事業者が激減した。同社ではそんな悩みを解決してくれそうな商材を以前から取り扱っている。
たとえば、ジオスター(株)のモジュラーチ工法やビッグボックスと言われる大型コンクリート二次製品がある。「現場打ち大型構造物のプレキャスト化」を謳い、熟練工を必要とするうえ工期が長くかかる現場打ちと比べて、品質管理された工場での生産、部材の軽量化と合わせて急速施工が可能。何よりも熟練工を多く必要とせず、工期短縮ができる大きなメリットがある。これらは、唐津市から伊万里市を結ぶ497号線や、現在工事中である有明沿岸道路にも使われている。これからは専門工事業者の熟練した施工の能力に頼ることがない工事現場においては、品質が均一した製品が台頭してくると見方だ。
同社も「時代に適応した商材を取り扱い、今後もさまざまな工事に寄与したい」としている。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:高尾 平八郎
所在地:佐賀市川副町大字南里1489-1
設 立:1991年2月
資本金:1,000万円
TEL:0952-45-9080
FAX:0952-45-9050
<PRESIDENT PROFILE>
高尾 平八郎(たかお・へいはちろう)
1945年9月8日生。大分県出身。大分県日田高等学校卒後、67年飯田産業勤務。趣味はゴルフ。
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