2024年05月11日( 土 )

「情報革命の資本家」孫正義氏 ファンド戦略が行き詰るも再起できるか(後)

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 ソフトバンクグループ(株)は投資戦略を「封印」する。近年は人工知能(AI)のスタートアップに相次ぎ投資し、一時は巨額の利益を計上したが、世界的な経済情勢の不安を受けて新規投資を見合わせるという。孫正義会長兼社長の経営者=投資家人生の集大成だったファンド戦略は行き詰った。「情報革命の資本家」を自称する孫正義氏は、2023年に再起できるだろうか。

「軍師」死去が転機に

孫 正義 氏    孫正義氏の経営者=投資家人生で最大の転機は、軍師を失ったことだ。福岡ソフトバンクホークス(株)前代表取締役社長兼オーナー代行の笠井和彦氏が13年10月21日、肺カルチノイドで急逝した。享年76歳だった。

 同11月18日、笠井氏の「お別れ会」がホテルニューオータニ(東京)で催された。球団オーナーのソフトバンク社長・孫正義氏は、弔辞のなかで、一時上場廃止を考えたことを明らかにした。笠井氏は表には一切出なかったが、孫氏の軍師だった。朝日新聞(13年11月19日付)はこう報じた。

 2008年秋のリーマン・ショックが収まってきたころ。株価の大きな変動を受けて孫社長は笠井氏に「アナリストやジャーナリストへの説明が面倒。いっそ個人で会社を背負おうかと思う」と相談。これに笠井氏は「夢をちっちゃくしていいんですか」と強く反対した。孫社長は、「あの時止めてくれなかったら、その後のスプリント買収も無理だっただろう」と、絞り出すような声で感謝を述べた。

「為替の神様」の指南で携帯電話事業に進出

 孫氏は2000年前後のITバブル崩壊により、絶頂からどん底に突き落された。このステージの軍師を務めたのが、この笠井氏である。

 笠井氏は銀行界では「為替の神様」といわれた人物。(株)富士銀行(現・(株)みずほ銀行)副頭取、安田信託銀行(株)(現・(株)みずほ信託銀行)会長を務めた。東大閥が幅をきかす富士銀の取締役会で、香川大学出身の笠井氏は異色な存在であったが、笠井氏が率いる為替ディーリング部隊が同行の利益の大半を稼いだこともあった。

 笠井氏は定年退職後の2000年、ソフトバンクの取締役に就任。笠井氏の転職は、「富士銀行の副頭取までやった人間がいく会社じゃない」と銀行界で物議をかもした。勝負師は勝負師を知るという。若き勝負師である孫氏に共鳴したのが、笠井氏が誘いを受け入れた理由といわれている。

 孫氏から三顧の礼で迎えられた笠井氏は「結果を出さないと社会から評価されない」として業績を重視。孫-北尾吉孝氏時代の投資拡大路線に決別。ナスダック・ジャパンから手を引き、あおぞら銀行株を売却。投資先をネットと通信に絞り込んだ。

 孫氏は2000年以降、04年の日本テレコム買収(3,400億円)、06年のボーダフォン日本法人買収(1兆7,500億円)、12年の米スプリント・ネクステル買収(1兆8,000億円)など、巨額買収を手がけた。笠井は、その軍師として「錬金術師」といわれる手腕を見せた。銀行団をまとめて協調融資で資金を調達した。社債で調達すると、株価に左右されるためリスクが高くなるからだ。笠井氏は根っからの銀行マンで、証券マンではなかった。

 軍師・笠井氏の最後の大仕事は、孫氏が世界一の携帯電話会社になる野望に向けて大勝負に出たスプリントの買収である。米政府の認可などが出る前の12年秋に、買収資金の為替を予約。周囲が不安視するなか、「絶対に円安が進む」と断言して、1ドル=82円20銭で買収資金を集めた。13年1月の発表時には2,000億円程度の為替差益が出るとの見立てをもって進めていたのだ。その後、円安がさらに進み、3,000億円の為替差益をもたらした。市場関係者は「絶妙のタイミング、見事だ」と感嘆した。伝説のディーラーの相場感が冴えた大仕事であった。

 孫氏が人前で泣いたのは、軍師・笠井氏が亡くなったときだけだった。笠井氏がいなければ、今のソフトバンクはなかった。

「イカロスの翼」になる懸念

半導体 イメージ    孫正義氏は生粋のリスクテイカーである。その性分は、1981年に(株)日本ソフトバンクを旗揚げした直後に資本金のほとんどをつぎ込んでソフトウェア流通の胴元となる賭けに出た時から何ら変わらない。

 波瀾万丈だった孫氏の経営者=投資家人生のなかで、今日に至る転換点といえるのが2016年だろう。この年、孫氏は後継者と見込んだニケシュ・アローラ氏と決別した直後に3兆3,000億円で英半導体設計大手のアームを買収した。

 この巨額買収と並行して孫氏はサウジアラビアの王室を口説き、10兆円規模の巨大ファンドを設立した。孫氏は「我々は投資会社になった」と宣言。「情報革命の資本家」と自称して、猛烈な勢いで投資してきた。

 しかし、ファンド戦略は行き詰った。孫氏は再び事業家に戻ることを宣言した。米エヌビディアへの売却を一時期検討していた英半導体設計大手アームの経営に、「これから数年は没頭する」という。その先には、ソフトバンクGのMBOによる非上場化も視野に入れている。

 いつか来た道だ。笠井氏が存命だったら、どんなアドバイスをしただろうか。もっとも、今の孫氏には笠井氏のような軍師はいない。

 ギリシャ神話に「イカロスの翼」という故事がある。イカロスは鳥の羽で翼をつくって空を飛んだが、太陽に接近しすぎたことで、蝋が熔けて翼がなくなり、墜落して死亡した。孫氏は「令和の御代」のイカロスといえよう。孫氏は上空高く舞い上がったが、これから翼が熔けてなくなり、墜落するのか、それとも新しい翼をつけて飛翔するのか。23年は、孫氏にとって「激動の年」になることは間違いない。

(了)

【森村 和男】

(前)

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