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「呼吸する美術館」「芸術」を街中、日常生活のなかに解き放て!(1)~東京藝術大学教授 伊東順二氏
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2013年9月 6日 13:35

 普段、あまり意識することはないが、芸術や美術というものは、都市を形成するうえでの重要なファクターとなり得る。長崎県美術館の館長を務めたことがあり、現在は東京藝術大学で教鞭を執る、日本を代表するキュレーター、美術評論家の伊東順二氏に、都市形成における美術、芸術の果たす役割を聞いた。

<世界で注目!美術館が都市活性化へ貢献!>
 ――美術、芸術をプロデュースされる先生にとって、都市とは何でしょうか。

 伊東順二氏(以下、伊東) 今、美術館などの芸術等文化施設の都市活性化への貢献が、日本、世界で大きく注目されています。歴史的に見れば、1970年代にフランスにできたポンピドーセンターまで遡ることができます。ポンピドーセンターは、現在では国内外から観客を年間600万人(無料入場者数を含めると1,000万人を超える)を迎え、美術館の在り方、経営的にも、世界の国立美術館の典型的な成功例となっています。
 しかし、設立当初は順風満風な事業ではありませんでした。近くに有名な風俗街があり、治安が良いとは言えない下町中央市場の再開発事業として、「美術館」が相応しいのかどうかで世論が分かれました。ある意味、実験的な試みでした。結果的には、「美術館」だけでなく、図書館、劇場、映画館やカフェ・レストラン、広場などを併設し、フランス文化紹介のショールーム的役割を持つ芸術文化施設として成功しました。
 このときを境に「美術館」の役割が変わりました。美術館は、芸術文化施設のなかでは数少ない「自分で時間を決め、観賞できる」とても融通の利く、自由度が高い施設であることが再認識されました。また、容易に劇場、映画館等の共存が可能であることも分かりました。同時に、展覧会・企画展等入場者数に依存する経営への見直しも起こりました。

<街と美術館に、インタラクティブな関係を構築!>
 ――そのことは、同時代の日本にどのような影響を与えましたか。

東京藝術大学教授 伊東順二氏 伊東 この考え方は、フランスから各国に発信されましたが、どの国もそうですが、すぐに変わったわけではありません。もちろん日本も例外ではありません。世界が変わりつつあるときになっても、日本人のなかには「美術館はハイソで限定した美術ファンのものである」というイメージが強く残っていました。
 その変化の分岐点になったのが、2004年の金沢「21世紀美術館」と私が基本設計に参画、館長も務めた05年の「長崎県美術館」と言われています。この2つの美術館の成功を境に、日本でも「開かれた美術館」というコンセプトが主流になっていきます。
 「21世紀美術館」は、市民の自発的活動を行政が支えるというコンセプトで、開館から1年で地方都市の公共美術館としては驚異的な入場者157万人を記録しました。

 「長崎県美術館」は金沢「21世紀美術館」の1年後にオープンしました。このとき私は、企画段階で「呼吸する美術館」というコンセプトを提案しました。街と美術館に境を設けず、街が発信するものを美術館が受け止め、美術館が発信するものを街が受け止める、インタラクティブな関係の構築です。美術館の企画や活動が街全体と常に連動することを目指しました。美術館には、映像装置、音響装置、無線LAN(当時、全国の美術館で初)がありますが、すべて無料です。
 当時、長崎では共稼ぎや鍵っ子が多く、子どもの非行や自殺などの社会的な問題が多発し、精神が荒廃していました。そこで美術館を、子どもたちにとって一番安全に、遊び、学習できる場所として開放しました。
 美術館を無料開放するには賛否両論があります。しかし、もともと展覧会・企画展などの入場者数で黒字にすることはとても難しいことです。どうしても、展覧会で投資対効果を高めようとすれば、展覧会を安くあげるしかなく、質の低下につながりかねません。質の高いものを提供することは絶対に譲れません。必然的に、併設の駐車場、カフェ・レストラン、ショップ、宿泊代(遠方から来られる人も多い)などの地域的経済と総合して経営を考えていく必要があるのです。

 これらの考え方には当初、「美術館をイベント化するのか」「美術は選ばれた人のためのもの」という批判もありました。結果的に、長崎県美術館は国内外で高い評価を受け、昨年で入場者総数は300万人を突破しました。

(つづく)
【金木 亮憲】

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<プロフィール>
東京藝術大学教授 伊東順二氏伊東 順二(いとう・じゅんじ)
早稲田大学第一文学部仏文科(1976年)卒業。早稲田大学大学院仏文科修士課程(80年)修了。仏政府給費留学生としてパリ大学、およびエコールド・ルーブルに学ぶ。フランス政府給費研究員としてフィレンツェ市庁美術展部門嘱託委員(80年)、「フランス現代芸術祭」副コミッショナー(82年)などを歴任。83年に帰国後、美術評論家、アート・プロデューサー、プロジェクトプランナーとして、展覧会の企画監修。アート・コンペティション、アート・フェスティバルのプロデュース、都市計画、また、企業、協議会、政府機関などでの文化事業プロデューサーとしても幅広く活躍。2004年長崎県美術館館長、05年富山大学教授、富山市政策参与、13年4月より東京藝術大学社会連携センター教授兼アートイノベーションセンター副センター長。「九州芸文館」アート計画プロデューサー。著書として、「現在美術」(パルコ出版)、「現代デザイン事典」(編集委員 平凡社、1996~2012年)ほか多数。


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