2024年04月26日( 金 )

私のワンゲル時代(1)

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 今の私の元気はワンゲル(ワンダーフォーゲル部)のお陰です。

 1番 破れズボンにドタグツ履いて、肩で風切るおいらの姿、
 伊達で出来ないワンゲル暮らし、山の男は辛いもの
 2番 汽車は出てゆく博多の街を、かわい彼の娘が瞼に浮かぶ
 明日は九重か……

 これは私のワンゲル時代の歌です、ワンゲル部時代の学生生活は、まさに歌詞の通りでした。
 国立大学受験に失敗して2浪の後、今から50年前ほどの1964年4月に入学したのが西南学院大学経済学部でした。ちょうどオリンピックが開催される年でもありました。

南アルプス両股にて(3年生次)右端が筆者

 もともと体の弱かった私は、運動部に入部して体を鍛えようと思っていました。
 候補として挙げたのが、まず飛行機好きなので航空部。大空から下界を見下ろして、ストレスを発散させようと思っていました。入部はしたものの、いきなり合宿。苦学生の私は合宿費用など持ち合わせがないのと、また先輩たちの雰囲気も馴染めそうになかったので、部室に一度だけ顔を出して終わりました。
 そしてやはり体力をつけるべき、と臨んだ2番目の候補はボクシング部でした。今でいうシックスパックの腹筋を夢みていましたが、バイト先でボクシング部の先輩が鼻の軟骨をへし折られたと聞き、それでボクシング部の入部も流れて行きました。

 最後に入部したのがワンダーフォーゲル部、ワンゲルです。
 高校時代は山岳部だったので、自然とワンダーフォーゲル部に足が向いたものでした。
 入部当時の西南大学ワンダーフォーゲル部は歴史も浅く、まだ同好会でした。百道の海の雰囲気を残す学園内の松林に、粗末な木造小屋の2階がワンゲルの部室でした。部屋は狭く山の道具であふれてとても部員は入りきれず、松林の中で歓談するありさまでした。ですが、スマートでカッコイイ先輩たちがワンゲル談議を交わす笑顔は素敵に見えました。

 そしてワンゲルに入部し、新人として部活が始まりました。同期生は男女合わせて15人くらい、浪人入学あり、現役入学ありで活気にあふれていました。
 当時、農大ワンゲルが新人シゴキで死亡事件を起こし、ワンゲルに対して世間の目は冷たい年でした。そんな農大シゴキ事件をものともせず、大勢の同期が入部したのです。新人歓迎として行われた糸島市の野呂高原(白糸の滝上部)のカマボコ型山小屋でのファイヤー(キャンプファイヤー)は思い出に残る時間でした。
 しかしこれが、ワンゲル部での地獄の始まりでした。先輩たちの甘い声に騙されたのです。

(つづく)

 
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