2024年04月27日( 土 )

シリーズ 側近の目から見た高塚猛(1)~敵にお酢をかければ、『素敵』になります!

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 8月29日に高塚猛氏が逝去した。リクルートにおいて、岩手県盛岡市での再生(盛岡グランドホテル再建、安比高原リゾートホテル再建など)を成功させ、ホークス球団オーナーで、ダイエー会長の中内功氏にその手腕を見込まれ、ダイエー福岡3点事業(福岡ドーム、シーホークホテル&リゾート、福岡ダイエーホークス)の経営再建を任された。99年に福岡に着任、わずか1年半で78億円の赤字を3億円の経常赤字に圧縮、営業損益では42億円の営業赤字を33億円の営業黒字に転換させた。また福岡ドームの観客動員数を巨人に次ぐパリーグ新記録の310万人を突破させ、「平成の再建請負人」と言われた。
 側近として、福岡で最も“熱い”時間を共に過ごした東京在住の3人、大西義威氏(当時:ダイエー福岡3点事業 専務取締役)、安田裕明氏(同 常務取締役)、宮田哲次氏(同 人事責任者)が高塚猛氏の生前を偲んだ。

ダイエー、プロ野球球団「南海ホークス」を買収

 ――お忙しいなか、お集まりいただきありがとうございます。本日は、生前の高塚猛氏を偲ぶとともに、読者の明日に役立つメッセージが出せたらと思います。まず、皆さんのことから教えて頂けますか。年代的にはちょうど10歳ぐらいずつ離れているのでしょうか。

 大西義威氏(以下、大西氏) 私はダイエーに入社後、店舗を3年経験して総合企画室に異動になり、慶応ビジネススクールへの国内留学を挟んで、新神戸オリエンタルホテルの開業プロジェクトに約7年間関わりました。その後、社長室副室長(業務部門担当)を経て、消費経済研究所に出向していた時、中内功オーナーから「福岡事業の業績が芳しくないので、視察に行ってくれないか」と言われました。そこで福岡に視察に行き、報告書を提出した時点で、ダイエー福岡3点事業の専務取締役として出向を命じられました。96年12月のことです。しかし、私はこの異動にあまり驚きませんでした。それは、福岡3点事業は、事業企画本部の90年に土地を取得、コンサルタント協力のもと、総事業費約4,900億円で私が企画を書いたものだったからです。

 安田裕明氏(以下、安田氏) 私はダイエーに入社、食肉部門に所属していました。ダイエーはもともと肉の販売で大きく成長した会社です。その間、我が国最初の食肉技術学校で、軍隊式スパルタ教育としても有名な、「竹岸食肉専門学校」にも通いました。私がダイエー和歌山店で食肉部門の責任者をしていた時に、ダイエーがプロ野球球団「南海ホークス」を買収するという話が起こります。新球団は、ダイエー全体では13人で立ち上げることになりますが、私は一番若輩でした。福岡に来て、平和台球場で4年を過ごし、その間に福岡ドームの建設が始まり、福岡事業3点事業の社長として中内正社長が就任しました。ドームが完成した93年に販売サービス課長にしていただき、その2年後にはドームの総支配人・興行本部長になりました。

 宮田哲次氏(以下、宮田氏) 私は両先輩と比べると、かなり遅いダイエー入社になります。入社してからは、スーパーのダイエー店舗で小売りを担当していました。95年頃からダイエーの福岡事業に関わることになり、最初はレストラン部門に勤務していました。ちょうど、高塚さんが来られる直前の99年の3月に人事部に異動になりました。

福岡空港には、誰一人高塚さんを迎えにいかない

 ――皆さんと高塚さんとの出会いについてお聞きします。高塚さんは著書で、当時の状況を「福岡では最初は歓迎されませんでした。社員や取引先を含めて、私を歓迎している人は1人もいなかったと思います」と書いています。

 安田 私は高塚さんがホテルに来られた時はドームの総支配人・本部長でした。当時の私のボスは中内正社長です。高塚さんは、福岡3点事業(ドーム、ホテル、球団)再建のために中内功オーナーが三顧の礼で迎えた方です。中内正社長を飛び越えて、中内オーナーの指示で動くと思われていました。私は反対派の急先鋒でした。それにはわけがあったのです。高塚さん以前にも、ダイエー本体の経営陣が何人か福岡入りしたのですが、いずれも結果を出せなかったからです。従業員は誰一人、福岡空港に迎えにいきませんでした。

 宮田 私も一従業員として、今安田さんが言われた雰囲気は感じていました。着任後、私自身は半年ぐらい接触がありませんでした。さらに言えば、着任した99年末に起こった、いわゆる「工藤問題」(※)で、「責任を負わされていなくなってしまうのではないか」と心配しておりました。

(つづく)
【金木 亮憲】

※工藤問題:日本シリーズを制覇した99年末の年俸交渉の際、高塚氏が「君の登板する火曜日には観客の入りが悪い」と工藤公康投手に言い放ち、巨人へのFA移籍を決定的にしたと報じられたこと。

 
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