2024年04月26日( 金 )

営業マンが見たソニースピリッツ マーケティング革命『ウォークマン』登場

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ウォークマン1号機 TPS-L1 1979年7月1日発売

 「録音機能のないテープレコーダーが売れるとは、誰も思っていなかった」
 これが、ソニー社内での認識でした。
 1978年、ソニーの小型ステレオ録音機『TC-50』がいわゆる「デンスケシリーズ」として、ショルダーベルトタイプで登場。しかし重量がかなりあり、携帯するには無理がありました。
 海外出張の飛行機のなかで音楽を楽しんでいたソニー創業者の井深大さん(当時名誉会長)が「何とかならないか」と目をつけたのが、手のひらに載るタイプの小型テープレコーダー、プレスマンです。このモデルには揺れても音声に影響のないアンティローディングシステムが搭載されていました。井深さんは、「これにステレオ回路をつけて欲しい」とテープレコーダー事業部長に熱烈に電話をしました。事業部長は快諾し、そうそうに開発に取りかかったのです。
 試作品が出来上がると、ステレオヘッドホンから聞こえて来るのはすばらしい音楽でした。ヘッドホンは発売済みのもので、本体と比べると大きく不釣り合いの密閉型でした。このヘッドホンも改良され、薄くかつ軽くして、この録音機能のないテープコーダーとセットで売り出すことにしたのです。

 これが、ウォークマンの誕生でした。
 発売するに当たって、価格と生産台数を決めなければなりません。まず発売日は、大学生の夏休み前に決定しました。価格はプレスマンと同じ4万円にしようという意見もありましたが、発売日の年がソニー創立33年だったことから、ゴロのよい3万3,000円に決定。生産台数はプレスマンの倍の3万台と決定しました。商品名はTPS-L2、発売日は1979年7月1日です。当時販売サイドには、「録音機能のないテープレコーダーが発売される」としか伝わって来なかったのを思い出します。

ウォークマンのロゴマーク

 新しい音楽文化を送りだすセンセーショナルな発売となったわけですが、当初世間の評判はイマイチで、当然ながら社内の評価も低いものでした。
 ここからが、マーケティング戦略の始まりです。
 1人でも多くの人に見てもらいたい、体験してもらいたい。東京では本社事業部あげて日曜毎に、JR山手線に乗り込み、ウォークマンにヘッドホンを付けて周回する。代々木公園ではローラースケート姿で頭からヘッドホンをかけ、腰にはウォークマン姿で社員がデモンストレーション。何度も、なんども試みたのです。
 ロゴマークも歩きながら音楽をたのしむイメージから、ムカデのようなたくさんの脚に靴をはいて歩く、軽快なロゴとなりました。
 こうして、発売時は苦労したウォークマンですが、物珍しさも加わって「音楽を手軽に楽しむ」という文化は、若者たちの支持を受けて一気に爆発します。
 当然、商品は足りなくなります。販売サイドはひたすら「早く商品をくれ、早く!」という声を毎日聞くことになりましたが、私ども営業マンはひたすら「入荷待ち」と販売店に伝えるしかなかったのです。

 こうしてウォークマンは、日本中で、世界中でいつでも、どこでも音楽を手軽に聞ける文化を生み出したのです。
 またアメリカ西海岸で、大きなラジオカセットを耳にあててローラースケートをやっていた若者たちは、ヘッドホンを耳にしてのローラースケート姿になり、ファッションとし新しい文化を生み出したのです。
 いわゆるスマートでカッコイイ文化の始まりです。
 そして『こんなものを作ってくれ』というアイディアを出したのは、当時70歳を過ぎた創業者の井深大さんであり、『これはいけるぞ』と商品化に熱中したのは60歳に近い会長の盛田昭夫さんでした。
広辞苑にもこの『ウォークマン』の名は掲載されています。また1号機の誕生から10年で1億台を達成しています。一目みてわかるムカデの足みたいなロゴとともに、世界で愛されるウォークマンになったのです。そして薄くて軽いヘアーシリーズのヘッドホンも革命を起こし、業界を席巻してヘッドホンでもシェアNO.1となりました。

2017年12月27日記
池田友行

参考資料 ソニー(株)発行 ソニー50周年記念誌『源流』
     ソニーファミリー

 

 

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