2024年04月27日( 土 )

4,000億円挑戦企業・九電工(1)~株価高騰の悲喜交々

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 戦時中の国策によって設立された背景を知る人はもはや少ない。電力会社の子会社的な存在として見られていたのも過去の話だ。(株)九電工は、その「親」が原発ショックで喘ぐなか、営業エリア拡大とともに民間からの受注を伸ばし、プロパーの経営陣がリーダーシップをとって、前を走るきんでん、関電工を猛追している。上方修正した中期経営計画の数値目標も達成がみえてきた。

7期比で12倍の高騰

 九電工のこの10年間の株価動向を参照されたし。09年から12年まで年末終値は445~555円で推移し、13年から上昇を始めた。14年末は1,343円を記録。そこからさらに大躍進。15年末2,176円、16年末3,140円、17年末5,450円を記録した。7月9日時点の終値は下降気味であるが、5,200円となっている。

 この7期比で12倍の高騰である。同業者との比較でも異常な高騰だ。アナリストたちも九電工関係者たちも首を捻る。「12倍も値上がりする画期的な経営戦略を打った覚えもない」と語るのだ。同社の元社長にもコメントを求めた。「本当に株高騰した本質的なところは不明。太陽光発電事業を手がけたこともあるが、業績を著しく牽引するまでには至っていない。株高騰の主力要因ではない。みんなで結束して頑張ったとしか言いようがない」と平凡なコメントしか取れないのだ。

 さて九電工の株高騰渦中でOBたちの間で妬み・嫉妬・怨嗟の声が高まっているとか。株価1,000円を突破した際に売りを決断したあるOBは「永年、低迷株をもち続けていたので気持ちが腐っていた。ところが一挙に1,000円台に突入したので売りを決断した。儲けを得て自分としては九電工に就職したことに感謝した。気分も優れるようになった」と語ってくれた。

 問題はここからである。人間ドラマの始まり、始まり。「その後も株価の値上がりは続く。2,000円を突破したときにはさすがに『しまった!!』と声を発してしまった」そうだ。周囲を見渡すと1,000円突破した際に売りに走った仲間たちが大半であったとか。口々に「2,000円まではもつべきであった」と後悔の念を吐く。

 取締役に就いた経営幹部たちは売るにも売れない。日々いら立ちの念を抱いていただろう。リタイアすれば株売却で大枚を握る機会を得られる。1億円握った例も少なくないようだ。元会長が注目され妬まれている。「所有株は手放していなければ10億円になっているようだ」と酒の肴として囁かれる。「元会長ほどではないにしてもAさんもいいタイミングで退任されたからしっかり握ったようだ」と懐勘定をされる。羨ましい限りの話である。

(つづく)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:西村 松次ほか2名
所在地:福岡市南区那の川1-23-35
設 立:1944年12月
資本金:125億5,506万円
売上高:(18/3連結)3,608億7,200万円

 
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