2024年05月19日( 日 )

住宅・商業・物流―インフラの結接点・筑紫野市(中)

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幻となった7カ町村合併

 戦後、筑紫野市域においても復興が進んでいくなか、53(昭和28)年8月に町村合併促進法が成立した。これは、地方財政の確保や国と地方の行政事務の再配分について提言した「シャウプ勧告」(49年)や改正地方自治法(52年)を受けてのもので、町村合併促進法では全国の町村数を3年間で約3分の1に減少させることを目標としていた。これにより、いわゆる“昭和の大合併”が本格的に進んでいくことになる。

 こうした中央の動きに先駆けて、福岡県では50年11月までに大規模な合併試案を作成。その試案では、筑紫郡を①「二日市町、太宰府町、水城村、山口村」、②「御笠村、山家村、筑紫村」、③「那珂村、春日村、曰佐村」、④「安徳村、岩戸村、南畑村」、⑤「大野町」の5ブロックに統合することになっていた。その一方で、同年12月には二日市において7カ町村長および議会議長の合同懇談会が開催。県の試案の①と②を合わせた、二日市町、太宰府町、水城村、山口村、御笠村、山家村、筑紫村の7カ町村での合併についての協議が行われた。協議は、財政力と人口で優る二日市町が主導権を握るかたちで進められ、各町村とも合併の必要性は共通の認識としてあったものの、合併に際して大きな壁が2つあった。1つは土地改良事業債の扱いと、もう1つは新たな町名の問題だった。このうち土地改良事業債については、各町村で負債額に大きなバラつきがあったものの、平均以上の負債額をもつ村には不均一課税か財産処分、平均以下の町村は財産区を設置して資産を保持するという取り決めを実施。これにより、財産問題は一応の合意に達した。

 難航したのは、新たな町名をどうするかという問題だ。二日市町は旧町名の固有名に依らない新たな町名とすることを主張する一方で、太宰府町は「太宰府」の名称を残すことに固執し、互いに譲らず。その後、二日市町は「筑紫野町」「筑前町」、太宰府町は「西府」「都府楼町」「西都町」、御笠村は「御笠野町」などの町名をそれぞれ提案したほか、「紫野」「天拝」「西京」「南福岡」などの案も出されたが、決定には至らなかった。

 結局、合併期日までに決着がつきそうにないことから、二日市町は7カ町村の合併協議からの脱退声明を発表。7カ町村合併は幻となった。二日市町の脱退後、事態は急速に進展し、二日市町を中心に筑紫村、山家村、山口村、御笠村の5カ町村で合併することでまとまり、55年3月に「筑紫野町」が発足した。

 一方で、7カ町村のうち残った太宰府町と水城村も合併し、筑紫野町の発足と同日に新たに「太宰府町」が発足。その後、筑紫野町は72年4月に市制施行によって「筑紫野市」となり、太宰府町も82年4月に市制施行して「太宰府市」となった。

交通インフラの充実で、市域内の都市化が進行

福岡筑紫野線
福岡筑紫野線

    こうした町村合併やその後の市制施行の動きと並行して、筑紫野市域では地理的条件からくる道路網と広域交通体系の整備が進んでいった。道路網では、南北に縦断する国道3号と同南バイパス、県道福岡筑紫野線、県道福岡日田線、東西方向の国道200号、冷水有料道路・山家バイパス、県道筑紫野古賀線、主要地方道筑紫野筑穂線などの幹線ルートの整備が進行。とくに、72年5月には鳥栖筑紫野道路(当初は有料道路、2007年5月から無料化)が開通したほか、75年3月には九州自動車道の古賀IC~鳥栖JCT間が開通したことで、モータリゼーションの進展に一段と拍車がかかった。なお、当初は筑紫野市内に九州自動車道のICはなく、最寄りは太宰府ICだったが、「筑紫野インターチェンジ構想」を経て、91年12月の国土開発幹線自動車道建設審議会で「開発インターチェンジ」設置が承認。98年3月に筑紫野ICが供用開始となった。

 一方、こうした道路網整備の進行や、従前から2つの鉄軌道(国鉄/JRおよび西鉄)が市内を縦断する交通アクセスの良さから、福岡市のベッドタウンの1つとして市内各所での住宅地開発も進行。戦後すぐは個人住宅を中心とした規模の小さい開発が多かったが、70年代以降は公社や民間デベロッパーによる大規模な住宅団地の開発が、JRや西鉄の沿線および太宰府に近い丘陵地で進んでいった。たとえば、西鉄による桜台(70年度、18.5ha、364戸)や朝倉街道(71年度、8.0ha、176戸)、ちくし台(74年度、8.9ha、150戸)や、三井不動産による宮の森(73年度、20.7ha、448戸)やみかさ台(79年度、12.8ha、392戸)、県公社によるむさしヶ丘(73年度、38.3ha、670戸)、電気ビルによる武蔵台(73年度、5.9ha、115戸)、RKB不動産によるちくしヶ丘団地(74年度、8.2ha、200戸)などだ。また、72年の「小郡・筑紫野ニュータウン構想」を皮切りに土地区画整理事業もスタートし、美しが丘北や美しが丘南、光が丘の各地区の区画整理事業が進行。こうした住宅団地の開発や区画整理の進行にともない、西鉄の桜台駅(71年3月開業)や紫駅(2010年3月開業)、JRの天拝山駅(1989年3月開業)などの新駅も開業していった。

 住宅開発による人口増にともない、市内各所で生活利便施設も充実。なかでも大型商業施設については、当初は西鉄ストア朝倉街道店(現・にしてつストア レガネット朝倉街道、69年7月開業)や二日市ショッピングバザール(現・イオン二日市店、74年3月開業)などの市の中心市街地付近に設けられたものが主だったが、モータリゼーションの進展とともにやがて郊外化。幹線道路沿いを中心に、筑紫野とうきゅうショッピングセンター(現・筑紫野ベレッサ、93年5月開業)、ゆめタウン筑紫野(96年3月開業)、シュロアモール筑紫野(2007年7月開業)、イオンモール筑紫野(08年12月開業)などが次々と設けられていった。

 こうして筑紫野市は、交通利便性の高さを背景に住機能と商業施設を充実させながら、現在に至っている。

商業施設

(つづく)

【坂田 憲治】

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