「震度7」の恐怖

画家・劇団エーテル主宰 中島淳一

 「震度7」という文字を目にするだけで、胸の奥が冷たくなる。日本人にとって、それは単なる数字ではない。人間が自然の前でいかに無力であるかを思い知らされる、極限の記号である。

 気象庁が定める震度階級は、0、1、2、3、4、5弱、5強、6弱、6強、7の十段階で構成されている。その最上位に位置するのが震度7であり、そのうえに「震度8」は存在しない。どれほど激しい揺れであっても、すべて震度7と表現される。つまり、震度7とは、計測できる揺れの終着点なのである。

 震度7では、人は立っていることができない。四つん這いになっても思うように動けず、場合によっては身体が宙に浮くような衝撃を受ける。家具は一斉に倒れ、テレビや冷蔵庫が凶器となって襲いかかる。木造住宅は倒壊する危険性が極めて高く、耐震基準を満たした建物であっても、傾いたり重大な損傷を受けたりする可能性がある。道路は裂け、橋は落ち、水道、ガス、電気といったライフラインは広範囲で途絶える。日常は一瞬にして消え去り、人々は生き延びることだけに全力を注ぐことになる。

 現在では震度7という言葉は広く知られているが、実はこの階級は最初から存在していたわけではない。かつて日本の震度は「震度6」が最高だった。しかし、1948年の福井地震では3,700人を超える命が失われ、あまりにも甚大な被害を前に、「震度6では現実を表しきれない」という反省が生まれた。そして翌49年、新たに「震度7(激震)」という階級が設けられたのである。

 その後、長い間「震度7」は制度上の存在にすぎなかった。実際に初めて適用されたのは、95年の阪神・淡路大震災である。高速道路が横倒しになり、多くの住宅が一瞬にして崩れ落ちたあの映像は、日本人の記憶に深く刻まれている。
 
 それ以来、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震の前震と本震、北海道胆振東部地震、能登半島地震、そして今月28日に発生した熊本地震まで、震度7が観測された地震は決して多くはない。しかし、一度発生するだけで、地域の運命を根底から変えてしまうほどの破壊力をもっている。

 今回の熊本地震の報に接したとき、正直なところ信じられなかった。10年前、熊本では前震と本震の2度にわたり震度7を経験している。だからこそ、多くの人が「熊本は当分大丈夫だろう」と、どこかで思っていたのではないだろうか。私もその1人だった。

 ところが自然は、人間の思い込みなどまったく意に介さない。

 親しくしている方の家は、10年前の地震では半壊だった。そして今回、その家は全壊したという知らせを受けた。言葉が出なかった。ようやく立ち直り始めた生活が、再び一瞬で失われる。その理不尽さを思うと、胸が締めつけられる。

 災害の恐ろしさは、建物を壊すことだけではない。人の未来への希望や安心感までも奪ってしまうことである。「もう大丈夫だろう」という心の拠り所さえ打ち砕いてしまう。その残酷さは、数字や統計だけでは決して語り尽くせない。

 日本は世界有数の地震列島である。4つのプレートがぶつかり合う場所に位置し、いつどこで大地が動いても不思議ではない。科学は地震の仕組みを少しずつ解き明かしてきた。しかし、「いつ、どこで、どれほどの規模の地震が起きるのか」を正確に予知することは、今なおできていない。

 だからこそ、私たちは地震を忘れてはならない。家具を固定すること、非常食や飲料水を備えること、家族との連絡方法を確認しておくこと。それらは決して大げさな備えではなく、命を守るための最低限の準備なのである。

 震度7は、決して遠い世界の出来事ではない。日本に暮らす以上、誰もがその当事者になる可能性をもっている。だからこそ、災害の記憶を風化させず、被災した人々の苦しみに思いを寄せながら、日々を生きることが大切なのだと思う。

 日本が地震列島であるという宿命は変えられない。しかし、震度7という極限の揺れだけは、できることなら2度とこの国を襲わないでほしい。その祈るような願いは、きっと私1人だけのものではないはずである。

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