2024年04月29日( 月 )

大反復する歴史、その「尺度」を探る!(5)

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東京大学大学院 情報学環 吉見 俊哉 教授

「年代」「世紀」「元号」はいずれも帯に短し襷に長し

 ――歴史の尺度、25年説の理論的根拠については理解できました。しかし、一般的には「年代」(10年)、「世紀」(100年)、「元号」なども歴史の尺度と言われています。

 吉見 たしかに年代という尺度は、私たちが現代史を見ていく際の常套手段になっています。
 しかし、2000年代以降は経済の長期低落傾向が続き、90年代のイメージが引き継がれたまま現在に至っています。2000年代、それに続く2010年代には、郵政民営化、民主党政権成立、東日本大震災、アベノミクスなどの大きな時代の変化と10年単位の年代とは、ほとんど結びついていません。そればかりでなく、高度経済成長時代でも、さらには戦前に関しても、10年単位の尺度で区切る「年代」の限界は明らかになっています。なぜならば、10年は時代的な風潮を印象的に述べることには使えても、歴史が動くには短すぎ、それには20年以上の時間を必要とするからです。

 では、「世紀」はどうでしょうか。しばしば、19世紀は「近代」、20世紀は「現代」と呼ばれ、「近代」から「現代」への転換は第一次世界大戦で生じたとされます。第一次大戦が起きたのは1914年なので、すでに20世紀に入っています。厳密には、「19世紀=近代」と「20世紀=現代」という区分からズレています。歴史を長く俯瞰して見ると、100年ではなく、125年とか150年という幅で変化が生じていることがわかってきました。

 私たちはよく「元号」でも時代を区分します。「明治」、「大正」、「昭和」、「平成」という言葉から喚起される時代イメージも一般に流布しています。
 しかし、元号で括ると言っても、像が明瞭なのは「明治」だけです。「昭和」は最初の20年とそれ以降はまったく異なるので、そのどちらに重点を置くかで「昭和」の像は全然違ってきます。当たり前のことですが、そもそも天皇の即位から死去までの個人史で、国家や社会の歴史を区切ることには無理があります。

 以上のように、10年単位の「年代」、100年単位の「世紀」、天皇の在位と対応した「元号」のいずれもが「帯に短し襷に長し」と言うべきか、歴史の尺度としての難点を持っています。
 そこで私は発想を転換し、もっと歴史を構造的に把握することが可能な尺度を探ってみる必要があると考えました。25年という尺度は、お話ししたように一方では景気循環の長期波動と結びつき、他方では家族の世代間隔と結びついています。つまりそれは、世界史的な変動と世代史的な変動を結ぶ最小公倍数なのです。

「都民ファーストの会」は「日本新党」の反復?

 話は少し逸れますが、25年尺度を裏づける最近の事例として、1つ興味深い例を挙げましょう。それは、小池百合子東京都知事の「都民ファーストの会」が都議選で圧勝したことです。この圧勝の意味を考えるには、ちょうど25年遡る必要があります。

 2017年から25年遡ると1992年です。この年は「日本新党」(細川護熙党首)が誕生した年であり、それまで、TV東京のニュースキャスターであった小池さんが、細川さんと合流して、初めて政界デビュー(92年の第16回参議院選挙・比例区で当選)した年です。翌年、日本新党は今回と同様に、93年6月27日の都議会選挙で、公認候補だけで20議席を獲得して第3党に躍り出ました。その勢いを維持したまま、93年7月の衆議院選挙で35人を当選させ、非自民連立政権の細川内閣が誕生しました。
 つまり、「都民ファーストの会」をはじめ、小池さんの一連の動きの原点は日本新党です。

 そして93年、同じ日本新党から政界に出ていったのが、野田佳彦、前原誠司、枝野幸男などの旧民主党の政権の中枢を担った人たちです。日本新党は、90年代以降の政界の流動化の導火線となったのであり、92年から93年にかけて起きたことと、今起きていることには反復性があります。

歴史の時間軸を設定し未来へのメガネを持つ

 ――本書では、「25年」以外に「150年」そして「500年」という尺度についても言及されています。

 吉見 歴史の尺度とは、歴史の補助線のことです。すなわち、歴史の大きな時間枠を設定することによって、読者の皆さんには「未来へのメガネ」を手にしてほしいと思っています。私はその最小単位を25年と考え、その根拠を提示して参りました。

 これまで見てきたような構造的視野に立って、戦後・戦前の日本の歴史の流れを25年単位で括って見ると、それぞれの25年のまとまりが、その前や後の25年とくっきり異なる傾向を持っていたことがわかります。

1845‐70年:開国と危機意識の25年
1870‐95年:開化と国家建設の25年
1895‐1920年:帝国主義列強強化と階級闘争の25年
1920‐45年:経済恐慌と戦争の25年
1945‐70年:復興と成長の25年
1970‐95年:豊かさと安定の25年
1995‐2020年:衰退と不安の25年
※1870‐1920年は明治・大正型の政治経済システムが成立した50年で、1945‐95年は高度経済成長型の政治経済システムが成立した50年です。

 25年を最小単位として考えるので、その2倍の50年(半世紀)、3倍の75年、4倍の100年(1世紀)、6倍の150年、12倍の300年など、いくつか有用な尺度は考えることが可能です。
 150年に関連づけてお話しすれば、イタリアの社会学者、ジョヴァンニ・アリギは近代の500年が、ヘゲモニー(覇権)の中心が移転しながら継起する4つのグローバルな資本蓄積サイクルの折り重なりによって成立すると考えています。
 すなわち、「ジェノヴァ・サイクル」(15世紀‐17世紀初頭)、「オランダ・サイクル」(16世紀後半‐18世紀)、「イギリス・サイクル」(18世紀後半‐20世紀初頭)、「アメリカ・サイクル」(19世紀後半‐)の4つで、それぞれのサイクルは150年から250年の時間的な幅を含んでいます。1920年代に本格化するアメリカ・サイクル「アメリカの世紀」は、トランプ大統領の出現で、その終焉はだいぶ早まった気もしますが、このままいくと2070年ごろまでは続くことになりそうです。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
 1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合研究センター長等を歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。2017年9月から米国ハーバード大学客員教授。著書には『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『親米と反米』『ポスト戦後社会』『夢の原子力』『「文系学部廃止」の衝撃』など多数。

 
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