中島淳一画伯物語(後)

 唐津市で生まれ育った画伯の中島淳一氏。このシリーズでは同氏の中学・高校の同期であった友人との電話のやり取りを文章化することで、半世紀前の青春時代(高校時代)を振り返っていただきたい。

やるべきことを後回しにする悪い癖

 日曜日の朝だというのに、またしてもKから電話があった。まだコーヒーも飲んでいなかった。

 昨夜はアトリエ公演の疲れが残っていた。年齢のせいなのか、舞台の翌日は、以前のようには体が動かない。少しぐらい朝寝坊しても罰は当たらないだろうと思っていた矢先だった。

 携帯電話の画面に「K」の文字が出た瞬間、何となく嫌な予感がした。電話に出る。すると、案の定だった。
「病院行ったか」
 挨拶もない。いきなり本題である。

「昨日は土曜日だよ。それに昨夜は公演をやったんだ。明日行くよ。必ず」

 するとKは、ため息まじりに言った。
「お前はなぁ、やりたいことはすぐやるけど、やらなきゃいけないことを後回しにする傾向があるからな」

 私は思わず笑ってしまった。なるほど、よく私のことをわかっている。思えば、高校生の頃からそうだった。

 やりたいことには一直線だった。柔道。ボート。演劇。小説。興味をもつと、後先を考えず飛びつく。

 だが、病院や役所の手続き、現実的な面倒事は、なぜか後回しになる。普通の人間なら優先することを、私は後に回し、普通なら後回しにすることばかり先にやってしまう。人生の順番が、少し変なのかもしれない。もっとも、それを一番よく知っているのがKだった。

 思えば、彼にはずいぶん世話になった。とくに忘れられないのは、私が30歳頃だったか。

命の恩人K

 Kが出版社の編集者を紹介してくれたことがある。当時の私は、まだ劇団を立ち上げる前だった。絵も売れない。小説もかたちにならない。将来の見通しなど、ほとんどなかった。

 ただ、東京と福岡で個展を開き、とにかく何かを表現したいという気持ちだけで生きていた頃である。生活は決して楽ではなかった。今思えば、よく生き延びたものだと思う。そんな時だった。

「面白い編集者がいる。お前の話、好きそうな感じだよ」

 そう言ってKが紹介してくれた。相手は大手出版社の編集者だった。私にとっては夢のような話だった。しかも、奇跡的に企画が通ったのである。出版、それも企画出版だった。普通なら飛び上がって喜ぶところだろう。編集者が気に入ったのは、私の講演を録音したテープだった。

 高校時代の無期停学。
 アメリカ留学時代のさまざまな体験。
 絵を描いて暮らそうとして四苦八苦している話。
 人生の滑稽さ。

 私はいつもの調子で、好き勝手しゃべっていたらしい。それが面白かったのだという。ところが、私は完全に勘違いをした。

 原稿用紙に向かった私は、突然、哲学者になってしまったのである。ヘーゲル。サルトル。ニーチェ。

 芸術とは何か。
 存在とは何か。
 人生とは何か。

 若かった。いや、若いというより、格好をつけたかったのかもしれない。難しいことを書けば深く見える。哲学的なら知的に見える。どこかでそう思っていたのだろう。今読み返したら、恥ずかしくて赤面するかもしれない。

 原稿を提出して2日後、編集者から電話があった。
「中島さん、ちょっと違うんです」

 私は驚いた。違う?何が違うのだろうかと思った。

 編集者は少し困ったように言った。
「講演テープの中島さん、あれが面白かったんですよ。あの感じで書いてほしかったです」

 そして、少し言いづらそうに続けた。
「もっと自然に。もっと人間臭く。もっと笑えて」

 さらに、遠回しながら、こう言われた。
「哲学的エッセイは、一般の読者には難しいと思います」

 私は腹を立てた。若かったのである。自分の文章を否定された気がした。結局、私は書き直しもせず、その話を断ってしまった。

 今思えば、驚くほど頑固だった。あれは大きなチャンスだったのかもしれない。その話を聞いたKは激怒した。

「あのなぁ、お前、全然、わかってないんだ!」

 確か喫茶店だった。Kは珍しく本気で怒っていた。
「お前さ、自分のことが全然、見えてねぇんだよ。文章書くとすぐカッコつけるだろ」

 私は少しムッとした。
「そんなことない」

 するとKは容赦がなかった。
「高校の頃からそうだったろう。ヘーゲルだ、サルトルだって。だけどな、お前、喋ると面白かったな」

 私は黙った。Kは続けた。
「自然に笑いが起きるんだよ。だけど書くと急に哲学者になる。だからつまんなくなるんだな」

 今なら少しわかる気がする。当時の私は、自分を大きく見せたかったのかもしれない。あるいは本の読み過ぎで、現実が見えていなかったのだろうか。私にとって本は知性を意味した。だが、人が面白がっていたのは、私の現実の体験談。失敗しながら、それでも何とか生きている私自身だったのである。

 もっとも、Kは批判だけの男ではない。不思議な奴なのである。散々怒鳴っておきながら、その後もずっと付き合ってくれた。

 その出版社のOは、後に銀座で私が個展を開いたとき、絵を買ってくれた。だが、それを聞いたKは、また怒った。
「お前、全然、わかってねぇんだよ」

 また始まったと思った。
「大手出版社から企画で本が出せるなんて奇跡なんだよ。それをお前、自分で潰しやがって」

 そして少し笑いながら言った。
「お前の最大の才能は喋りなんだよ。テレビ向きだろう。自然に笑いを取れる。だけど、お前は芸能人じゃなくて芸術家になろうとしている」

的確な指摘のK

 私はムッとした。
 「悪かったな」と反論した。

 そして最後に、Kは少し真顔になった。
「ただな、お前は本質的に芸術家じゃない気がする。お前、何でもやりたがるだろ。本物の芸術家って、もっと偏っているんだよ。いずれわかる時が来る」

 若いころは、その言葉が嫌だった。否定された気がした。だが、あれから40年。私は今も絵を描き、小説を書き、舞台をつくり、エッセイを書いている。つまり、全部やっている。結局、Kの言葉は半分当たり、半分外れたのかもしれない。

 私は純粋な芸術家ではないのだろうか。何でもやりたがる性分だけは、今も変わらない。もっとも、そんな私の絵を、彼は買ってくれた。
「もしかしたら、お前は画家として大化けするかもしれない。しないとまではいえない」。そう言って笑っていた。

 ひどい話である。だが、不思議と腹は立たなかった。本気で心配してくれているのがわかったからだ。そして老人になった今でも、彼は相変わらず電話をかけてくる。

 病院へ行け。
 無理をするな。
 その指は危ない。

 昔と同じ口調で怒鳴りながら。

 考えてみれば、ありがたいことである。若いころの友人というものは、たいてい途中でいなくなる。

 仕事が変わる。
 生活が変わる。
 価値観が変わる。

 そして、いつの間にか会わなくなる。だが、40年以上経っても、まだ電話をかけてきて、病院へ行けと怒鳴ってくれる男がいる。それは、なかなか得難いことである。

 彼の望み通り、明日は整形外科へ行こうと思う。もっとも、病院嫌いの私は少し気が重い。だが、もし行かなかったら…。

(了)

【編集:青木義彦】

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