
地名の由来の2つの八幡宮
大正期のインフラ整備が転機
福岡市の都心・天神から南に約2km―西鉄天神大牟田線の西鉄平尾駅と西鉄高宮駅の2駅の周辺は、福岡市内でも居住地として高い人気を誇るエリアだ。わずか1.1kmの駅間の沿線両サイドに広がる中央区の高砂・白金・大宮・平尾、そして南区の高宮・大楠・那の川の7つの町丁はこれまで、都心部のような大規模な再開発の波に晒されることなく、静かに成熟してきた。福岡市の都市計画では、このエリアは都心部の外延として住宅と業務・商業が調和する複合市街地に位置づけられており、天神・博多の両都心部の再開発が進むなかで、人口の受け皿としての役割を一層強めている。
今回は、この平尾~高宮エリアについて取り上げてみたい。公称町別では、福岡市中央区の「高砂(1~2丁目)」「白金(1~2丁目」「大宮(1~2丁目)」「平尾(1~5丁目)」、福岡市南区の「高宮(1~5丁目)」「大楠(1~3丁目)」、そして中央区と南区にまたがる「那の川(1~2丁目)」だ。
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今回取り上げる「平尾」と「高宮」は、今でこそ居住区として人気の高いエリアだが、歴史を遡ると長らく、それほど重要な地としては扱われてこなかった。
高宮5丁目の丘陵上に鎮座する「高宮八幡宮」は、社伝によれば天智天皇の御代、現在の高宮駅東方に地名が残る磐瀬に行宮が置かれた際、神功皇后ゆかりの地として祀られたのが始まりとされる。古くは「高神様(位の高い神様)が降りてこられた地」として、高貴な神社という意味の「高宮」と社を呼ぶようになった。これが後に村名となり、「高宮」という地名として現在まで受け継がれてきた。

一方、平尾の地名にまつわる最古の物語は、海に寄り添う土地だった記憶である。901年、讒言によって大宰府へ左遷されることになった右大臣・菅原道真は、その途次、博多湾の南岸にあたる「平尾の浜」に立ち寄ったと伝えられる。現在の平尾3丁目に鎮座する「平尾八幡宮」の境内に祀られる平尾天満宮は、この故事を偲ぶもので、地元では「容見天神」と呼ばれて語り継がれている。中世の博多を描いた住吉神社の絵馬に基づく古地図には、現在の天神・春吉・中洲一帯を覆う入江「冷泉津」の南岸に「平尾の浜」が描かれ、海と丘陵に挟まれたこの地が、早くから人の往来と信仰の結節点だったことを伝えている。
江戸期、この一帯は那珂川の南西側に広がる那珂郡の農村だった。高宮八幡宮は江戸中期には那珂郡の総鎮守として広い地域の崇敬を集め、広義の高宮地域(高宮・大楠・玉川町・清水・市崎・多賀・野間付近)は、この神社を拠点として緩やかに結ばれていた。一方の平尾も那珂郡に属する村で、明治時代までは那珂郡平尾村という村として存在していた。
また、幕末期に平尾の地は、勤王の志士たちが集った日本史の舞台として登場する。当時の女流歌人であり勤王家の野村望東尼(ぼうとうに)は、自身が隠棲していた「平尾山荘」に勤王の志士をたびたび匿うほか、密会の場を提供。長州藩士の高杉晋作や福岡藩士の平野国臣、月形洗蔵などが便宜を図ってもらったとされる。なお、現在は周囲が公園として整備されて園内には望東尼の銅像が屹立し、茅葺き屋根の山荘が復元・一般公開されている。
1889年の市制・町村制の施行にともない、平尾を含めた周辺の村々は那珂郡八幡村へ編成される。福岡市の拡大はその後も続き、1926年4月、八幡村が福岡市に編入されたことで、平尾・高宮一帯は名実ともに市域へ組み込まれた。だが市編入当時、この地域はまだ田園が広がる近郊農村のままであったとされる。
農村がまちへと変わる大きな転機となったのは、大正期に相次いだ2つのインフラ整備である。まず1つ目は「水」で、1923(大正12)年12月には、福岡市初の浄水場として「平尾浄水場」が完成。現在の浄水通りの地下に埋設された給水管によって、市の中心部への給水が開始された。海抜の高い平尾の地は、那珂川水系から取水した水を自然流下で市街地へ送り込める、まさにうってつけの立地だったのである。
そしてもう1つは「鉄道」だ。24(大正13)年4月、九州鉄道(現在の西日本鉄道の前身の1つ)によって、福岡~久留米間の鉄道路線(現在の西鉄天神大牟田線の一部)が開業した。このときに開業した「八幡駅」が、後の「西鉄平尾駅」だ。また同時に、その約1.1km南に「高宮駅」も開業。現在の西鉄平尾駅と西鉄高宮駅の隣り合う2つの駅は、このとき同時に開業し、この駅開業を機に、周辺の都市開発が進んでいくことになる。また、翌25年に6月には、八幡駅から約300m東に北九州鉄道(後の国鉄・筑肥線)の「新柳町駅」(後に筑前高宮駅に改称)が開業し、それぞれの乗り換えが可能となった。
ただし、水道と鉄道という2つのインフラ整備によって都市基盤の下地ができたとはいえ、駅開業からしばらくは、まだ周囲は田畑が広がるような場所だった。その後、本格的な市街化が進んでいくのは、戦後の復興期以降になってからだ。
高宮駅前で市街地再開発事業
平尾駅も複合型新駅舎に
戦後、焼け野原となった中心市街地の復興のために、福岡市は国が制定した特別都市計画法に基づき、47年1月から「戦災復興土地区画整理事業」に着手した。平尾や高宮はこの戦災復興事業のエリア内ではなかったものの、市中心部の復興が進むにつれて、周辺部にあたる平尾~高宮エリアでも徐々に復興が進んでいった。
53年7月には、福岡市として実施した最初の土地区画整理事業である「平尾地区土地区画整理事業」が事業着手した。同区画整理事業は、厳密には住所表記上の平尾ではなく、その南側に位置する平和(中央区/南区)を中心とした施行面積162.7haにおいて、総事業費3億643万円(当時)をかけて64年11月までの約11年間の事業期間で行われたもの。この土地区画整理事業により宅地化が急激に進行していったのだが、とくに平尾エリアは同区画整理事業のすぐ北側にあたり、浄水通や平丘町などのいわゆる“高級住宅街”の南東側にあたるため、挟まれるかたちで閑静な住宅地の形成が進んでいった。
そして本格的な市街化が始まるのは、高度成長期以降である。前述の平尾地区土地区画整理事業を含めて、駅周辺の農地や丘陵地が宅地として開かれ、坂道の間に戸建住宅が建ち並ぶ、現在の住宅地の骨格がこの時期に形成されていった。また、町名も整理の対象となった。62年には白金(旧・白金町・向田町など)と大宮の住居表示が実施され、70年には大楠(旧・宮田町・筑紫町・下大楠町など)が1~3丁目として新たな町名に統一されている。
78年3月には西鉄の平尾~大橋間が高架化され、高宮駅は高架駅となった。高架化で解放された土地は駐輪場や店舗、オフィスに転用され、駅周辺の土地利用は一変。以降、バブル期までに駅前の中層マンションが出そろい、都心近郊の住宅地としての姿がここで一通り完成していった。
そして高宮駅の駅前では、南区内で唯一行われた大がかりな市街地再開発事業として、「高宮地区第一種市街地再開発事業」が実施されることになる。

同市街地再開発事業は、68年に地元商業組合が再開発部会を設置したことに始まる。商店街の近代化と居住環境の改善を目指したものだが、これにより住民起点の再開発の気運が高まっていった。その後、行政との協議と調査を経て、80年8月に高宮3・5丁目と野間1丁目の一部、区域約1.93haの都市計画が決定された。施行者は福岡市。86年12月に着工し、88年10月に複合施設「ピア高宮」が竣工、89年3月に事業が完了した。総事業費は約143億円。敷地約5,600m2に地上12階・地下1階建の「ピア高宮S棟」と、地上10階・地下1階建の「ピア高宮N棟」の2棟を建設し、住宅202戸と約30の店舗、駐車場を備えた。また、駅前広場とバスアイランド、駐輪場、西鉄高宮駅に直通するペデストリアンデッキなどを整備して動線を一新し、電線の地中化や幹線道路の整備も併せて進めた。さらに当時としては先駆的な発想で、女性の自立と社会参加を支える公益施設・福岡市女性センター(現・福岡市男女共同参画推進センター「アミカス」)をN棟の核に据えたほか、S棟には地元地権者店舗と商業施設「ボンラパス」が入居している。
83年には、博多~姪浜間の地下鉄化にともない国鉄筑肥線が廃止。筑前高宮駅も姿を消した。現在、国鉄筑肥線の廃線跡は「筑肥新道」という道路に生まれ変わり、エリア内の主要な道路の1つとして機能している。そして95年3月には西鉄福岡(天神)~西鉄平尾間も高架化され、都心までの踏切が相次いで姿を消した。線路の高架化は、都心側でひしめいていた踏切問題を一掃し、市街地の一体性を飛躍的に高める都市基盤の刷新であった。西鉄平尾駅も93年の駅舎改築を経て、2006年にはクリニックやフィットネスなどが入る複合型新駅舎「西鉄平尾駅ビル」に生まれ変わっている。一方で、高架下で長年営業を続けてきた「高宮西鉄名店街 専門店街」が22年に閉店。今後、西鉄グループによる「高宮駅改札外コンコース リニューアル」が進められていく予定だ。
(つづく)
【坂田憲治】

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