高島福岡市政の16年(2)都市計画の立場から振り返る、成長した16年と描けなかった次の50年
(株)アクロテリオン
代表取締役 下川弘 氏
1 はじめに―高島市政16年をどう評価するか
2010年に36歳で就任した高島宗一郎氏は、26年まで4期16年にわたり福岡市政を担った。民放アナウンサー出身ということもあって、声の通りや滑舌も良く、メディアの使い方、映像やフリップなどを使ったプレゼンテーションの方法は、市民受けし、これまでの歴代市長の中ではピカイチだと評される。5期目への出馬が注目されていた26年8月、11月の市長選に立候補しない意向を表明した。
その任期16年の間に、福岡市の人口は約20万人増加し、市税収入は10年度決算の2,654億円から、26年度当初予算では4,263億円へ増加した。天神では「天神ビッグバン」が進み、博多駅周辺では「博多コネクティッド」が展開された。さらに七隈線の博多駅延伸も実現した。
この16年間、福岡市は明らかに変わった。都市政策を象徴するのは、「行政が自ら街をつくる」から「行政が制度や規制を変え、民間投資を呼び込んで街をつくる」への転換である。
つまり高島市政は、福岡に「都市経営」という考え方を強く持ち込み、民間の力を活用しながら都心の更新を加速させた。
この点において、高島市政16年間を「何もしてこなかった」と評価するのは事実に反する。福岡の都市政策に大きな転換をもたらした時代だったといえる。
2 「都市経営」という新しい発想
高島市政の大きな特徴は、従来型の行政運営から、「都市そのものを経営する」という発想へ大きく舵を切ったことにある。
特に象徴的なのが、
•天神ビッグバン
•博多コネクティッド
•スタートアップ都市
•国家戦略特区
•規制緩和
•観光・MICE
•企業誘致
などである。
行政がすべてを公共事業として建設するのではなく、「規制緩和と民間投資の誘発」という手法を採った。つまり「行政がお金を出して街をつくる」から「行政がルールを変えて民間に街をつくらせる」という都市政策モデルを福岡に定着させた。これは福岡市にかなり大きな変化をもたらした。
天神ビッグバンは、確かに成功している。15年の開始時から26年3月末までに85棟が竣工し、30年代までに約120棟の建て替えが予定されているという。
しかし、「ビルを建て替えること」と「都市のグランドデザインをつくること」は同じではない。ここを混同してはいけない。現在の天神では高層・高機能なオフィス、商業施設、ホテルなどが次々と生まれている。それは基本的に「現在の福岡が必要とする都心機能を高度化する」政策である。従って、天神ビッグバン・博多コネクティッドなどは「都市更新」には成功しているが、「都市の次の50年の設計図」になっているわけではない。ここは明確に区別する必要がある。
「人口は約20万人増えた。市税収入も大きく増えた。」と、この数字だけから、「高島市政が福岡を成長させた」と結論づけるのは慎重であるべきだ。
もともと福岡市は高島氏の就任以前から、人口が増加する都市だった。
福岡の成長には、
•九州各県からの人口流入
•若年層の集中
•大学・教育機関
•九州の支店経済
•IT・スタートアップ
•福岡空港
•博多港
•新幹線
•アジアへの地理的近接性
•比較的低い住宅・オフィスコスト
など、長年積み重ねられてきた構造的要因がある。従って、「人口が増えた=市政が成功した」という単純な評価ではなく、「もともと成長力を持つ福岡の成長ポテンシャルを、高島市政がどこまで引き出したのか」という評価軸が必要であるように思われる。

3 「目先の都市経営」は非常に素晴らしかった
高島市政16年間は、すでに成長力をもっていた福岡に、「都市経営」という新しい発想を持ち込み、民間投資と規制緩和を組み合わせて「成長を加速させる仕組み」をつくった。天神の再開発は、比較的短期間で成果を実感できる都市更新だった。建物が完成すれば街の変化が目に見え、地下鉄延伸も、開業すれば利用者が効果を実感できる。
一言で表現するなら、「10年先の都市経営には非常に強かった。しかし、50年先の都市設計については手をつけなかった」という整理ができる。
天神ビッグバンは10年単位で効果が見える。博多コネクティッドも同様である。地下鉄延伸も完成すれば効果を実感できる。目に見える「ビッグバン型プロジェクト」と比較して、本来の都市計画の領域においては、十分な政治的・行政的議論が蓄積されたとは言いにくい。空港、広域交通、防災、エネルギー、都市圏構造などは、30年、50年という時間軸で考えなければならないが、思いつきのような「博多駅~博多港ロープウェイ構想(通称:福岡スカイウェイ構想)」や、「みずほPayPayドーム福岡と唐人町駅を結ぶ動く歩道構想」などは、「都市の骨格」としての整備には繋がらないものばかりである。(「動く歩道」に関しては、福岡ソフトバンクホークスが福岡市の「交通に関する民間企画提案」として発案したとされるが、福岡市がお願いして、福岡ソフトバンクホークスに提案してもらったとの噂もある…。真相は筆者には分からないが…。)
重要な公共交通のインフラ整備に目を向けなかったことの16年の弊害としては、市役所で働く優秀な人材たちが、高島市長の顔色をうかがうようになり、市長が気に入る企画しか発案しなくなった点である。それは、25年に出された「福岡市都市交通基本計画」や26年に出された「福岡市都市計画マスタープラン」などに顕著に表れている。つまり現状の施設・設備の維持管理や安全性への取り組みのようなものばかりで、30年、50年先を見据えた将来構想・ビジョンは十分に示されていなかったのは、非常に残念である。
改めて、ここで問いたいのは、「次の30年、50年を見据えた都市の骨格・ビジョンをつくることができたのか」である。この視点から見ると、上記に示す通り、評価はかなり複雑になる。
都市計画が本来扱うのは、建物だけではない。
* 空港
* 鉄道
* 道路
* 港湾
* 水資源
* エネルギー
* 防災
* 住宅
* 公共交通
* 都市圏全体の土地利用
といった、都市を長期に支える「骨格」そのものをどうするかである。七隈線の博多駅延伸は大きな交通政策上の成果だったかもしれないが、もともと七隈線開業時に博多駅までつながなかったことの愚策を補てんしただけのことである。
本来ならば、
「30年後/50年後の福岡はどうあるべきか」
「九州の中心都市として何を備えるべきか」
「副首都を目指すなら、どのような都市基盤が必要なのか」
という長期的な都市ビジョンについては、十分な議論がなされてきたとは言い難い。
また、福岡の成長は福岡市だけで完結するものではない。春日、大野城、太宰府、筑紫野、那珂川、糸島、新宮、古賀、福津などとの都市圏ネットワーク、さらに九州各県との産業・物流・人的交流を考えれば、これからの都市計画は「福岡市」から「福岡都市圏」、さらに「九州」へと視野を広げる必要があるのではないだろうか。
「福岡スカイウェイ構想」のイメージ図
福岡市公表資料より
4 30年先・50年先の都市計画 ~本当のビッグバンと福岡の伸びしろ~
高島市政を振り返ると、「福岡を大きくすること」と「福岡をどこへ導くのか」は、必ずしも同じではなかったことが最大の論点として浮かび上がる。
「人口が増えた。税収も増えた。ビルも建った。企業も進出した。観光客も増えた。地下鉄も延びた」
これらはすべて重要な成果であり、高島市政の大きな成果であろう。しかし、その先に、「50年の福岡はどんな都市なのか?」「2100年を見据えたとき、今の福岡の都市構造で本当に大丈夫なのか?」という明確な都市像は見えてこない。
1995年から2011年まで16年間、福岡県知事を務めた麻生渡氏は、昨年3月に膵臓がんのため逝去した。その直前に西日本新聞が麻生氏に県知事時代の思い出をインタビューし、「光陰 矢の如し」というタイトルとともに、その回顧録を掲載していた。
拝見すると、そのほとんどが、将来の福岡のことを考えての新福岡空港の取り組みの記録であったが、当時の社会情勢の中、1人だけ四面楚歌に置かれ、実現できなかった。亡くなる1週間前の最終回のタイトルは「新福岡空港を建設せよ」というものだった。さらに、その最終回の最後の文面では、「次のリーダーは誰でしょうかね。腹をくくって『百年の計』を考えて判断、行動してくれる人が必要です。手を挙げる人がいないと福岡は駄目になります。(中略)最終回の見出しをどうするかって?『新福岡空港を建設せよ』――。頼みますね。」と締めくくられている。
筆者は新福岡空港の必要性を幾度も報告しているが、「現在の空港をどう使うか」ということと「その先の空港をどうするか」ということとは別の問題である。空港の新設には、需要予測、候補地調査、環境調査、アクセス交通、用地・海域、埋立、設計、建設など、長い準備期間が必要になる。福岡国際空港(株)(FIAC)の公共施設等運営権実施契約の当初契約期間が48年7月31日に満了することも視野に入れなければいけない。だからこそ、「将来の新空港について調査を始める」ことはすぐにでも始めるべきなのである。
この問題は、30年後・50年後の福岡を考える都市計画の大きなテーマとなるだろう。海上空港とすることで、24時間運用や処理容量の拡大を図れる可能性がある。約350haの広大な跡地が生まれる。現福岡空港に由来する航空法上の高さ制限もなくなる。都市圏の交通ネットワークも変わる。福岡市のこれからの経済成長の伸びしろがここにある。
最後に、高島市長には、16年間に渡る福岡市の市政運営と発展に寄与されたことに敬意を表するとともに、次なる世界でのご活躍を期待する。
そして、12月からはしっかりと「百年の計」を考えてくれる次のリーダーに期待する。
<プロフィール>
下川弘(しもかわ・ひろし)
1961年11月、福岡県飯塚市出身。熊本大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程を修了後、87年4月に(株)間組(現・(株)安藤・間)に入社。建築営業本部やベトナム現地法人のGM、本社土木事業本部・九州支店建築営業部・営業部長などを経て、2021年11月末に退職。03年4月熊本大学大学院自然科学研究科博士後期課程入学、05年3月同大学院中退。現在、(株)アクロテリオン・代表取締役、C&C21研究会・理事、久留米工業大学非常勤講師。









