2024年04月29日( 月 )

「もうつくれない」昭和初期の建築物・九段会館を保存再生(後)

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 緑色の瓦屋根とジャイアントオーダーの向こうに武道館を仰ぎ見る、長らく九段下で親しまれてきた景色が、このたび九段会館テラスとして再生された。再生されたのは1930年代に建設された国の登録有形文化財である「九段会館」。帝冠様式のファサードはそのままに、牛ヶ淵沿いでは地上17階建ての高層ビルとして生まれ変わった。九段会館テラスの再生を手がけた鹿島建設(株)開発責任者の梅田慎介氏と施工責任者の神山良知氏に、話を聞くことができた。九段会館の歴史を振り返りつつ、足掛け5年以上におよんだ保存プロジェクトについて紹介する。

(上)応接室前室 扉枠、(左下)応接室 復原クロス、(右下)応接室 復原床
(上)応接室前室 扉枠、
(左下)応接室 復原クロス、(右下)応接室 復原床

【内装】

 次に内装である。内装で大きな課題となったのが、重量のある仕上げ材であった。正面玄関・応接室・役員室・鳳凰の間などに多く残る創建時の内装は、当初変更の予定はなかった。しかし、多用されていた平米あたり70~80kgもある漆喰仕上げは、木下地が後年の改修で一部切断されるなど強度が不十分であった。動態保存の観点からも、天井剥落は許されない。

 そこで綿密な調査を経て、天井平面箇所は漆喰部分をラス網ごと撤去し、LGSで下地を組み直したうえにプラスターボードを貼り付け、漆喰素材の鏝仕上げを施し、軽量化し安全性を確保した。復原が難しく希少価値が高い玄関ホールの梁型部分は、下地補強後、表面の石膏を透明な膜で保護したうえに、漆喰と質感を合わせた無光沢塗料で仕上げた。

【応接室・役員室】

 応接室・役員室は解体調査の結果、計画が変更された部屋である。調査の際、壁のペンキを触るとぷかぷか浮くことがわかったという。そこで、斜めから投光機で光を当ててみると、模様が浮かび上がったことから、国の許可を得て、一部を解体し模様の由来を調査した。すると、クロスの模様は正倉院宝物殿にある銀壺と類似した模様で歴史的価値が高いことがわかり、計画を変更。応接室ではこの金色刺繍のクロスを復原している。役員室は窓側のみ創建時のクロスを復原した。また、応接室の無垢の真鍮蝶番を使用したスチール扉も復原している。「創建時の昭和初期の雰囲気に引き込まれる応接室・役員室は、今ではもうつくることはできない」と、九段会館テラス新築工事事務所 所長・神山良知氏は語る。

【真珠の間】

 3階北側の真珠の間は、298m2の最も広いバンケットホールで、戦前の絵葉書や写真・創建時仕様書を参考に、可能な限り創建時の意匠を復原している。床材をヘリンボーン張のフローリングに変更し、壁紙は特注の織物へ張り替えた。創建時にはあったものの、後年の改修で隠蔽されていた多角形の高窓も復原している。特徴的なアールデコのバルコニーはそのまま再利用した。また、真鍮下地に錫メッキと思われる金属製の装飾は、すべて後年の補修でペンキ塗となっていたが、一部を創建時の仕様に復原している。

【永上 隼人】

参考
・洪洋社編集部編「軍人会館競技設計図集」洪洋社 1931年
・日本建築協会編「日本趣味を基調とせる最近建築懸賞図集」 1931年
・帝國在郷軍人會本部「帝國在郷軍人會概要」 1932年
・近江栄『建築設計競技 コンペティションの系譜と展望』鹿島出版会 1986年
・藤岡洋保「軍人会館 (現・九段会館)─「帝冠様式」は軍国主義の象徴か?」、『コア東京』2020年7月号、(一社)東京都建築士事務所協会

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