2024年05月02日( 木 )

新たな競争のステージへ!デフレ経済の勝ち組『四強』(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

慎重なキャンドゥは、ブランド力の向上を図る

 3位のキャンドゥは1993年設立、関西系の企業が多い業界では珍しく、関東発の100円ショップ業界の雄だ。

 事業のスタートこそ、大創産業、セリアに遅れをとったものの、2001年に100円ショップ業界としては初めて上場(ジャスダック証券取引所)をはたすと、03年には東京証券取引所市場第二部、翌04年には第一部に繰り上げするなど、とんとん拍子に出世。07年には関西を地盤に100円ショップを展開していたクリスタルを買収。社名をル・プリュに変更して子会社化した。さらに、09年には「100円ショップオレンジ」14店舗の事業譲受を受けるなど、事業を拡大。11年に、創業者で当時の社長であった城戸博司氏が急逝するという不運もあったが、その後は、城戸一弥新社長の下に盛り返し、15年には初の海外FC店としてモンゴル、タイに進出している。

 17年11月期決算では年間売上高688億2,900億円(同1.2%増)、経常利益22億7,300万円(同7.1%減)とやや苦戦している状況だ。

 商品については、基本的な路線は他社と一緒だが、オリジナル商品「Do!STARS」のブランド化に力を入れ、SNSを通じた情報発信、ディズニーなど人気キャラクター商品の展開、人気ブロガーとのコラボなどを積極的に展開する。

 結果的にセリアに抜かれてしまったのは、出店スピードがやや慎重なところだろう。ダイソーやセリアが、年間100店以上のハイペースで出店を重ねるなか、同社はFCも含めて17年11月期でも昨年対比27店増といったところ。量より質を追求し、いたずらに商品や店を増やすのではなく、たとえ一時的に売上は下がっても新陳代謝をきかせていく戦略のようだ。

ワッツの武器はローコストオペレーション

 関西発のワッツは、現在、「ワッツ」のほか、国内では「ワッツウィズ」「ミーツ」「シルク」と合わせて4つの店名を使い分け、そのほか、海外で2つのブランドを展開。さらに、食品と100円雑貨のハイブリットタイプの「バリュー100」、輸入雑貨店「ブォーナ・ビィータ」、ライフスタイルショップ「オール・オーバー・ザ・ワールド」など多様な業態を展開し、グループ1,082店舗(17年8月期)を誇る。売上では業界4位ながら、店舗数ではキャンドゥを上回っている。

 1995年設立と、『四強』のなかでは最後発だが、キャンドゥに続き、2002年には店頭公開(ジャスダック)をはたした(現在は東証一部)。

 その特徴は徹底したローコスト経営だ。居抜き店舗への出店を基本とし、清掃や補修などはしても、設備はそのまま利用するのが原則。このため、店舗形状が歪だったり、薄暗かったりする店もある。店舗の運営は基本的にパート、アルバイトが行い、正社員は管理のみ行えばいいため、1人で7~8店掛け持ちできるという。このため、退店・出店がフレキシブルにできる利点が生まれ、不採算店はさっさと閉鎖するなどスピード感のある出店戦略を採用する。

※クリックで拡大

 一時期は伸び悩んだ時期もあったが、直近の17年8月期で、年間売上は474億9,400万円(同2.9%増)、経常利益12億7,200万円(同6.6%増)と堅調な業績を見せている。
 現在の平岡史生社長は教師から転身した変わり種。中学校の社会科の教師を12年勤め、38歳の時、創業者である平岡亮三氏にスカウトされ娘婿となった。実業経験はなかった平岡氏だが、1998年にワッツに入社後、経営企画部門などを経て2003年に代表取締役に就任すると、その後、三栄商事、オースリーとの経営統合、子会社化を主導するなどして事業を拡大させた。

 実は、創業者の平岡亮三氏(06年死去)も脱サラ起業した経緯がある。100円ショップなどを運営していた会社の財務担当として勤務していたが、会社が倒産してしまう。亮三氏はこのとき60歳だった。そのまま定年退職を選ぶという道もあったが、当時、伸び盛りだった100円ショップを手放すのは惜しいと、会社から事業を譲り受けたのが最初という。

 以上、『四強』の概要を見てきた。品ぞろえや店舗運営などの戦略は基本的にどこも似たり寄ったりというのが実情。基本的には店舗数に応じた仕入れボリュームが大きくものをいう業界だ。現在は、ホームセンターや総合小売のシェアを奪うことで旺盛な出店を可能としているが、国内の出店もいずれ限界を迎えるだろう。そこで、各社は、海外展開や卸売、あるいは、ネット通販など新たな展開に打って出ようとしているところだ。

(了)
【太田 聡】

 
(中)

関連記事