2024年05月15日( 水 )

【追悼】松本龍さん!!もう一度国家のために活躍していただきたかった

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 7月23日午後1時より元環境大臣・松本龍氏の葬儀が福岡市中央区古小烏町のユウベル積善社で行われ、1,000人以上が参列した。前日の通夜にも同じぐらいの方々が故人を偲んで参列していた。故人の真面目な人柄に惹かれ、これだけ多くの方々が参列したのだろう。

 龍さんは福岡一区の衆議院議員を7期連続務め、2010年9月17日には菅改造内閣で環境大臣兼内閣府特命担当大臣(防災担当)に就任した。ここからの半年間が龍さんにとって最高の政治人生だったのではないか!!当時の龍さんの目は青年のように輝いていた。

決裂寸前だったが徹夜で粘って、妥結に漕ぎつける

 2011年1月、環境大臣室で龍さんに取材をした。龍さんは4カ月の環境大臣の激務による疲労感を抱えていただろうが、充実感を漲らせた様子で熱弁を振るっていた。

 大臣就任直後の3カ月間は自らが議長を務めた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)や気候変動枠組条約第16回締約国会議(COP16)の為にニューヨーク、名古屋、メキシコと飛び回っていた。多忙な日々の中、日本を代表して会議に参加するのだ。政治家冥利に尽きるといえるだろう。取材で龍さんは10月に名古屋で開催した生物多様性条約第10回締約国会議の意義を説いてくれた。

 龍さんは「2010年までに生物多様性の損失速度を著しく減少させるという目標達成不可能な状況のなかで、多くの国がいわば失望感を抱いて名古屋にやってきた。とにかくこの会議で一定の合意を取り付けなければならないという使命感をもって臨んだ」と語った。

 予想通りに意見の対立は激論へと発展し、終始決着つかずの状態となったそうだ。環境問題をめぐっては、先進国と途上国の対立がクローズアップされることが多い。「しかし、必ず共通の利益を見いだせると確信していた」と語る龍さんの強い信念に「すばらしい政治家に成長された」と感動を覚えたものだ。

 結果、会議最終日の10月29日朝に議長案を提出した。会議での重要な課題の1つだった遺伝子資源へのアクセスと利益配分(ABS)について、夜を徹する頑張りで名古屋議定書の合意へと何とかこぎつけたのだ。2010年10月29日という日は政治家・松本龍氏にとって最高に記念すべき日だったに違いない。

 この取材の2カ月後、東日本大震災が起きた。担当大臣として龍さんは最前線で活躍していたが、被災地での発言がマスコミから非難を浴びることになった。人生と同様に政治人生でもどん底の時期はある。そこから何としても復活してもらいたかった。

 龍さんは享年67歳、まだ若い。もう一度、国会で活躍する姿を見たかった。残念無念だ。

合掌

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