2024年03月29日( 金 )

大塚家具親娘対決の根源~一族の資産管理会社「ききょう企画」にあり!(後)

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資本と経営の分離に備えた体制づくり

 大塚勝久氏は、事業継承の失敗をどう見ているのか。ダイヤモンド・オンライン(2018年1月9日付)で、「事業承継をここで誤った」と語っている。
 〈将来的には大塚家が大塚家具の経営から身を引き、いわゆる「資本と経営の分離」の体制をつくることが望ましいと考えていた。実際、そのための準備も始めていた。
 例えば、普通ならば「長男が跡を取るのだろう」ということで、長男には資産管理会社の株の半分を持たせていた。しかし、資本と経営の分離を考えれば、こうした状態がよいわけではなく、実際、他の子どもたちから異論が出てきたので株を均等に分けることにした。長男は不満だったかもしれないが、将来の事業経営を考ええれば均等に持つことは大塚家や大塚家具にとって最良の方策なのだと納得してもらった。
 その際、妻には株を配分しなかった。つまり5人の子どもたちが19%ぐらい株を持つ形にした。私は、「これでいいのだ」とほっとした気持ちでいた。

 しかし、均等に分けたことが、後に私や長男の解任につながるものになるとはなんとも皮肉だ。妻にも同じように株を持たせていれば対抗できたかもしれないが、今さらそれを言っても始まらない〉
 ききょう企画は1985年9月、勝久氏が保有する株式の資産管理会社として設立。事業の継承者と決めていた長男に株式の半分をもたせた。久美子氏からそれを兄弟姉妹に分配してほしいと求められて均等に分けた。事業の継承と、資本と経営の分離は別問題だが、それを混同したことが失敗だったと悔やんでいるのである。
 創業者が必ず直面するのは、事業承継の問題である。これには万能の処方箋はない。配当金で子どもたちが食べていけるように、資産管理会社の株式をもたせることはよくあるケースだ。試行錯誤しながら取り組むしかない。

ききょう企画が抱えた17億円の借金

 久美子氏はききょう企画の経営権を握り、ここを足がかりに大塚家具の社長に帰り咲いた。ききょう企画は、もともと勝久氏が保有する株式を移した資産管理会社だ。勝久氏は08年4月、ききょう企画に、自分が保有する大塚家具130万株を譲渡する見返りに、ききょう企画の社債15億円分を引き受けた。

 大塚家具を追われた勝久氏は、社債の償還を求めて提訴した。ききょう企画(久美子氏側)は「大塚家具の事業承継と相続対策であり、社債の償還の延期は合意されていた」と主張したが、東京地裁は16年4月、勝久氏の請求通り15億円の支払いを命じた。
 ききょう企画は勝久氏に、金利分を含めて17億円を現金で支払った。勝久氏は、大塚家具の株式売却で得た20億円と社債償還裁判で勝訴した17億円を合わせた37億円で匠大塚を設立した。
 ききょう企画は17億円の借金を抱えた。資金を出したのは、三井住友銀行と三菱UFJ銀行。ききょう企画が保有する大塚家具株189万株を担保に差し出した。ききょう企画の資産は、大塚家具の株式だけだ。赤字にもかかわらず、久美子社長が高額配当を続けてきたのは、ききょう企画が配当金を借金返済の原資にしているからではないかと言われた。

 大塚家具の現金・預金は14年12月期末に115億円あったが、18年3月末には10億円まで減少した。これまでの蓄えを喰い潰したのは、高額配当も一因だった。支援先との交渉で、久美子氏が社長に執着するのも、ききょう企画の問題だ。
 大塚家具が配当できなければ、ききょう企画が抱えた17億円の借入金の返済が滞り、銀行が担保権を行使して大塚家具株を転売することだってあり得る。大塚一族は、大塚家具の株主でなくなる。その恐れから、久美子氏は社長退任を拒否しているのだろう。一族の資産管理会社、ききょう企画が大塚家具の経営危機を招いた一因だった。

(了)

【森村 和男】

(前)

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