2024年04月27日( 土 )

激突!伊藤忠がデサントに敵対的TOBへ まず、デサントの御曹司を担ぐ「番頭4人組」の追放だ!(後)

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創業家3代目を担いだクーデター

 両社に亀裂が走ったのが2013年6月のデサントの首脳人事。6年間陣頭指揮を執ってきた伊藤忠出身の中西悦朗社長が、相談役にも就かず完全に引退。後任の社長には、創業家の3代目の石本雅敏常務が昇格した。伊藤忠から創業家への“大政奉還”のウラ事情を、「Sankei Biz」(2013年5月18日付)が報じた。

 〈石本氏の社長昇格2月26日に内定し、公表されていた。社長交代は、上場会社にとって「ハレの舞台」。しかも創業家出身の社長とあって話題性はあったが、記者会見はなく、A4判の資料2枚のみが開示された。中西氏の処遇は「退任」とのみ書かれていた。 (中略)経営の主導権をめぐって、創業家と伊藤忠の微妙な“温度差”が知れ渡るようになった。〉

  12年末に創業目2代目の石本恵一氏が亡くなった。「伊藤忠の支配強化に不満をもつ生え抜きの役員たちによる、創業家3代目の雅敏氏を担いで断行した“王政復興のクーデター”」と業界では囁かれた。

 石本雅敏氏は1963年3月生まれ。慶應義塾大学卒業。84年に電通に入社。その後、渡米してMBAを取得し、製薬会社に再就職した。デサントに入社した経緯を日経BizGate「私の道しるべ」サイトで語っている。

 〈神戸にある日本法人に配属され帰国したが、それからしばらくして阪神大震災に遭遇したんです。すぐに両親に会うため大阪の実家に行きました。久々に会った父は私が想像していたよりも年をとっており、そんな父の姿を見た瞬間、言葉では説明できないで不思議な縁を感じ、祖父が創業したデサントに入ることを決断したんです〉

 石本雅敏氏は1996年にデサントに入社。2013年に社長に就任した石本社長は、お家再興を目指し「独立志向」を強めてきたことが、今回の対立の背景にある。

石本社長の退任まで踏み込むか

 伊藤忠はデサントの6月の株主総会に向けて、一気に勝負に出た。デサントが経営不振に陥った1984年と1998年の2回にわたり支援したにもかかわらず、13年に石本社長が昇格する際には事前の連絡がなく、韓国事業への依存解消への問題提起にも耳を貸さない――。伊藤忠はTOB開始に関する資料で大株主としての不満を述べ立てた。「恩を仇で返すのか」という怨念が込められている。

 あの暴露テープで、岡藤会長は「来年の株主総会では(石本社長ら)取締役選任議案に反対する」と息巻いた。TOB成立後、石本社長の退任を求めるのか。退任を拒否したら、株主総会に株主提案して、退陣に追い込むのか。今後の焦点だ。

(了)
【森村 和男】

(中)

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