2024年05月05日( 日 )

プーチンと習近平、どこが似ている

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

広嗣 まさし(作家)

 現在、欧米を中心とした世界で最も危険な人物と目されている2人は、ロシアのプーチンと中国の習近平だろう。2人がそれぞれの国を操るさまは、まさに「独裁者」。ところが両者を比較してみると、むしろ違いの方が目立つ。

 政治的な見方をすれば、ロシアのウクライナ侵攻が中国の台湾侵攻を誘発するという図式が出来上がる。あながち間違った図式とは思えないが、プーチンには戦略があり、一方の習近平にはそれがないように見える。それもそのはず、2人の経歴がまるで違う。

 プーチンは元KGBの諜報員だ。国外の情報を効果的に集め、それを基に戦略を練ることに習熟している。ソ連が崩壊する前は、東ベルリンにいて西側の情報を集めていた。西欧は彼の熟知する世界であり、それもあって、自分がロシア人であるという自覚にも深いものがある。

 アメリカの映画監督オリバー・ストーンがプーチンの単独インタビューを行っている。それを見ると、プーチンがいかに頭脳明晰であるかがわかる。西欧とロシアの違いを十分わかっており、ロシア人には何が必要なのか、非常に明確なビジョンをもっているのだ。そのビジョン全部が正しいかどうかはわからないが、少なくとも非西欧の政治家で、西欧化によって己のアイデンティティーを保てるはずがないとはっきり意識し、それを世界共通の言語で語れる人は珍しい。このインタビューは必見である。

 もちろん、彼個人の資質や経歴だけの問題ではない。17世紀末以来、ロシアは西欧文明を取り入れることで近代化を進め、「ロシアとは何か」という問いを常に問い続けてきたのである。その問いは19世紀から20世紀にかけて西欧世界のみならずアジアにまで影響をおよぼしたロシア文学に刻印されている。ロシアの知識人は早くに西欧文明に限界を感じ、それを乗り越える模索を続けてきたのである。

 一方の習近平であるが、彼は文化大革命を経験した世代であり、そのせいで彼には中国の誇る古来の伝統が身についていない。また、彼の共産党の大先輩たち、たとえば中国の近代化に大いに貢献した鄧小平などに比べ、西欧世界を知らないという点でもだいぶ見劣りがするのである。中国共産革命の影の立役者であった周恩来は日本やフランスに留学し、非常に視野の広い外交家として活躍した。そのような人材は、習近平自身だけでなく、彼の率いる官僚集団にも1人としていない。

 現在の共産党にもアメリカ留学を経験した人材はいる。しかし、彼らは西欧世界の根本的性格を把握するには至らない。というのも、ほとんど欧米人と交わらず、中国人どうしで互いを牽制しあっているからだ。なかには例外もあるが、そういう例外は決して中国に戻らない。そういうわけで、中国共産党はいつまでも現実世界を見ることがないのである。「一帯一路」構想は「画に描いた餅」に終わる可能性が高い。また、中国の文化を称揚しようと躍起になっても、国の指導者たちに中華文明の粋を知る者がいないのだから、空念仏と終わるほかないであろう。

 人口の多い中国に優秀な人材がいないはずはなく、国際的科学雑誌に掲載される論文の数も増えてはいる。しかしながら、中国の学校教育は発想の自由と創造性の芽をできるだけ早くに摘みとってしまおうというものだ。アメリカ育ちの中国人にノーベル賞受賞者はいても、これでは中国からノーベル賞受賞者を出すことは難しいのである。

 かつて、中国のエリート青年がアメリカに行って失望し、嘆いている様を見たことがある。彼曰く、「アメリカは儒教精神がない、非常に野蛮な国だ」。だが、その彼は自らのうちにどれほどの儒教精神があるのか、それを問いただす態度がまったくなかった。彼の嘆きを聞いている私に対しても、まったく礼節というものがない。これが現代中国であるならば、この国に将来は期待できそうもない、そう思ったものである。孔子は「君子は人に理解されなくても恨むな」と言ったではないか。「本物の中国人」なら、失礼なアメリカ人に対しても鷹揚に振る舞い、やんわりと諭すことを知っているのではないだろうか。そういう本物は、もはや中国では生きられないかのようだ。

▼おすすめ記事
【論考】ウクライナの誤算 米国の軍事的支援があると錯覚(前)

 プーチンに話を戻すと、ロシアは多様性と矛盾を抱え、それを抹殺できない強さと弱さをもっていることを彼自身知っている。そこで彼が考えたのは、ロシア人の心情に深く刻まれたギリシャ正教の復活である。ソ連共産党が抹殺した宗教の復活。これを彼は実現しようとしてきたのだ。

 一方の習近平はどうか。中国は多様性も矛盾に満ちた国だが、彼はこれを強引に抹殺するためにIT技術を駆使している。これでは、「国風」もなにもないのである。ここはプーチンを持ち上げ、習近平をこき下ろす場ではないが、2人のそれぞれの国に対して行っていることの違い、またその姿勢の違いは歴然としていると言わざるを得ない。

 

関連記事