人口減という競争力衰退とこの国の明日

欠乏と競争が生んだ戦後日本の強さ

 小さな地方都市。教室不足で、廊下に机と椅子が並べられた。一クラス56人。一学年500人。三度の食事がままならない欠食児童。栄養不足で少なくない児童が青っ洟。真冬も靴下なし。手足はしもやけ。炎天下のグラウンド給水禁止の部活。教師や親からの日常的なビンタ。昭和30~40年代、団塊の世代はそんななかで育った。

 数が多くてモノが足りないと必然的に厳しい競争環境が生まれる。そこには振り返る余裕も立ち止まる余裕もない。

 模倣から始まり、それを進化させる努力。「24時間働けますか!」そんなコマーシャルが何の問題もなくテレビで流れた。

 結果、出来上がったのは「多様耐性」だ。

 強大な者への反抗心、一方、イジメられたら、より弱いものをイジメ返すストレス解放策。ないものを欲しがる向上一択のモノクローム。思想、信条的自己顕示。学生運動、労働争議。そんな混沌から生まれた競争力がやがて我が国独特の強さを生んだ。毎年、二桁のサラリーマン給与の伸び率。東京の土地価格がアメリカ全土のそれを上回る?といわれるまでになった金満国家。ジャパンアズナンバーワン。

 繊維、造船、家電、自動車、精密機械。その圧倒的な強さはカルタゴとローマのごとく欧米先進国との貿易摩擦を呼ぶが、上った陽は時とともに沈む。

 稼ぐを極めた団塊の現役引退が始まって20年が過ぎた。いまや、一部を除いてこの国のかつての強さは見る影もない。

豊かさが奪ったハングリー精神

イメージ    豊かになった社会からハングリーが消えた結果だ。典型が団塊ジュニアかもしれない。親の世代に比べて奪い合うものは格段に減った。

 「金持ち喧嘩せず」。もともと我が国の民族性は「隣百姓」と「人がふり見てわがふり直せ」だ。海に囲まれて狭い国土で近隣が密な単一民族だから異質を嫌う。だからいったんある流れが始まると一斉にそれに倣う。よきにつけ、悪しきにつけそれが徹底する。同調性と正常性バイアスにからめとられるのだ。

 近年、新聞、テレビなどの従来型マスコミをオールドメディア、左翼メディアとSNSが喧しい。そんなマスコミは戦前、右翼だった。いわゆる「大本営発表」で戦の結果を華々しく喧伝し、国民の戦意を煽った。そして終戦。一斉にその立場を逆転させた。「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」が今も続いているということだ。しかし、またもや時代が変わった。

 国民のアンチ意識が保守政権から分散化した。人権、近隣独裁国家、社会保障、政治の仕組みなどそれは多岐にわたる。そんな社会の流れに既存メディアは乗り損ねたのだ。

 すでに活字はその情報伝達優位性を失っている。とくに紙の媒体は深刻だ。今や高校生の半分は月に一冊も本を読まない。成人も似たようなものだろう。

 いま、大方の人が同じように手にするのはスマホだ。そのなかには年齢、男女、プロ、アマすべてのクラスターからの発信が集合する。

 スマホを手にする彼らが、指先1つで自由に選択できる世界から、従来型のマスメディアに戻ることはない。変化に対応できないオールドメディアの近未来は明るくない。

人口減社会に残された2つの選択

 問題は、そんなこの国の将来だ。エネルギーも食糧も国内という自前で調達できないとなると対策は2つしかない。1つはそれに合わせた生活レベルだ。現在の人口が半分になれば国内農地で何とかなる。もちろん、今の食卓の豊かさは望むべくもない。工業生産や社会インフラも同じだ。水道はその維持が困難になり、井戸が再登場する。乗用車をもつのは限られた国民で、その車が走る道路も保守、整備が様変わりする。毎日起きてすぐ農作業に取り掛かり、陽が落ちると家内的手工業で家事用品をつくる。コンサート、観劇、旅行などという機会はほぼなくなる。それが普通になる。

 もう1つの選択は先祖返り的なハードワークだ。新たな豊かさの創造に向かって、24時間働く世界に切り替える。その先にはかつての敗戦から繁栄に至った道の再来だ。ということになるかどうかはわからない。ポイントはエネルギーにある。化石燃料に代わるものができなければ、この国に陽は二度と昇らない。ペロブスカイトタイプ型がさらに効率化するなら、新たな生産世界が生まれるかもしれない。

 それはそれとして、これからしばらくはどうだろう。これほど無難社会が定着すると、あらゆることが差別と抑圧の対象になる。厳しい指導や口調はパワハラ、女だてらにはセクハラ、長時間頑張ればブラック。小売店でサービスに注文を付ければカスハラ。

 何より、学校がゆとり教育。冒険は禁止、川で泳いではいけない。知らない人から言葉をかけられたら逃げる。ありとあらゆる頑張らない調教。若年人口減で入試、入社、転職は容易。つまり競いの場が消えた。

 そこから育つ人間は、耐えられない人間だ。丁寧な指導と手厚い環境提供、豊かな報酬、至れり尽くせり。

 かたや、生き馬の目を抜く世界からやって来る競争相手。条件が同じなら大方、負ける。国際競争だけではない。国内の仕事レベルも低下する。やって来るのは、海外からのガンバル働き手だ。かつてアメリカの西海岸に移住した日本人はその頑張りを批判され、差別偏見の嵐のなかでしっかりしたポジションを確立した。

 我が国でも外国からきた人による同じかたちが現れるかもしれない。そんなことを想定し、外国からの労働力を拒めば手にできるのは大方の国民が貧しい、いわゆる昭和前半の暮らしだ。

 少子、高齢、人口減少は産業環境にとって、思うより過酷だ。そんな我が国が存在感ある国として生き残るには、スパルタしかない。かつて韜光養晦の北京大学では消灯後、唯一灯りのある宿舎階段で鈴なりになって勉学に勤しんでいた。その結果が現在だ。善悪は別として国家も同じようなサポートでガンバリ社会を支えた。

 先般の総理就任会見で、高市新首相は「頑張って、頑張って…」という言葉を口にした。

 頑張らないが主流の現在の我が国への極めて明確な警鐘だ。誰が何と言おうと、頑張らない世界に明るい明日はない。

 艱難汝を玉にす。臥薪嘗胆。虎穴に入らずんば虎子を得ず。隣国の故事だ。そんな言葉が重い。

【神戸彲】

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