日本人と「歴史」─ 韓国・中国との比較から考える(3)「日本に歴史はない」のか

福岡大学名誉教授 大嶋仁氏

 「日本人は歴史を知らない」とは、あるドイツ人の日本史研究者が口にしたことである。それを聞いていた私は、「そんなことはあるまい」と言いたかったが、考えてもみれば、テレビで歴史大河ドラマが流行ったからといって、日本人が自分たちの過去を知りたいと思っているわけではないことは明白だ。そうしたドラマは、テーマ設定を見る限り、現在の日本とは無関係なものとしてつくられているのである。

 たとえばこれを、江戸時代中期に生まれた『忠臣蔵』と比べてみよう。『忠臣蔵』は赤穂事件が起きた数十年後に完成された芝居であり、これが上演されることで事件が多くの人の知るところとなった。時代設定は江戸時代ではなく鎌倉時代にずらされているが、それは「お上の検閲」を避けるための手段であって、観客はそのことをよく知っており、作品が赤穂事件を扱っていることは明白だったのである。つまり、観客はそこに「現代劇」を観たのである。

 『忠臣蔵』は、主君に対する幕府の不当な処分に抗議する浪人たちの綿密な仇討ち計画の実現過程とその結果とを描いた作品である。これを書いた作者にすれば、時代社会の在り方に一矢を報いたかったのだろう。観客もそれを感じ取り、違法とされていた「復讐」に燃える主人公たちに共鳴したのに違いない。そのような歴史ドラマの現代性は、ついぞ日本のテレビでは見られない。ある韓国のテレビドラマ作家は言っていた。「韓国だったら、オウム真理教事件など、すぐドラマにするんですけどね」

 先にドイツの日本史研究者の例を出したが、日本人が歴史を知らないことは日本人も認めるところである。私の知るある高校の歴史の教師は、苦い顔をしてこんなことを言っていた。「近頃の生徒は、日本がアメリカと戦争をして負けたことすら知らない。毎年8月に行われている終戦記念日の式典にしても、彼らには意味が分からないし、そんなことに関心は全然ないんです」 

 この現象は今に始まったことではなく、1980年代後半から90年代初めにかけて日本全国の戦争体験者をインタビュー取材したアメリカのオーラル・ヒストリアンのクック夫妻も指摘している(Japan at War, an oral history, 1992 邦訳なし)。200人を優に超える人々にインタビューした夫妻は、多くの日本人が戦争の記憶を喪失しており、それを語るための構造的土台あるいは文脈をもたないために、それを回復することもできずにいると言っている。

 クック夫妻よりも前に、フランスの日本史研究者ヴィエは、Histoire du Japon(『日本史』1969これも邦訳なし)の冒頭部分で以下のように言っている。「日本は歴史のなかにあるが、歴史は日本のなかにはない」と。これによれば、日本人は昔から自分たちの「歴史」を書いてこなかったことになり、歴史記憶の欠如は、クック夫妻が考えるような敗戦のショックだけによるものではないことになる。はたして、本当に日本に「歴史」はないのか?

 この点について深い洞察を示したのは、日本思想史の研究者として名高い丸山眞男である。彼は「歴史意識の『古層』」(1972)という論文において、日本人の歴史意識は『古事記』の語り口にすでに表れており、その語り口は1つの歴史観として代々受け継がれて現在に至っていると言っているのである。

 丸山曰く、『古事記』に一貫して現れる「次々に」「いきおいよく」「なりゆく」という言葉が示すように、古代の日本人にとって歴史は自然発生的なものだった。すなわち「いきおい」という自然力によって歴史が生み出され、それが「次々になりゆく」のであって、「歴史」とは人間の意思を超えるものなのである。

 このような歴史観がそのまま近代日本人に引き継がれている、というのが丸山の論の趣旨である。これは前述のクック夫妻が述べていることと重なるもので、夫妻は多くの日本人戦争体験者が「戦争を戦った」とは言わずに、「戦争が(あたかも台風や地震であるかのように)やってきた」と言っているというのだ。この戦争観は、丸山のいう「歴史は自然発生的なもの」という『古事記』以来の見方と重なる。そこには「行為の主体」という意識がなく、従って「責任感」は生じ得ない。

 ヴィエの見方は丸山の論と重ならないだろうか。丸山にすれば、『古事記』は8世紀に編纂された書であるから、日本人は8世紀以来歴史を「人知を超えた自然の力」で説明してきたことになるわけだが、ヴィエはそのような歴史観は「真の歴史観」ではないと割り切っている。それゆえ、「日本には歴史がない」というのである。つまり、丸山が日本人の伝統的な歴史観をも1つの歴史観と見ているのに対し、ヴィエは「そんなものは歴史観ではない」と言っていることになる。この両者の違いは、「歴史」という言葉の定義の問題にすぎないのか? いろいろ考えさせられる。

(つづく)

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