
2023年8月1日 17:15
90歳の友人Iに電話をしたのは7月27日のことであった。悦子の逝去のことは、先方はご存知であったが、「ショックで連絡することができなかった」と告げられた。
2023年7月28日 11:30
悦子の老化進行は車の運転にも現れ始めた。駐車場へ入る際に車の側面を傷つけることが散見されるようになった。
2023年7月27日 11:50
神崎(仮名)は姉と弟との3人姉弟である。神崎が小学校3年の時に、父親が急逝した。母親は国立病院の看護師として働きながら3人の子どもを育て上げた。
2023年7月24日 17:20
悦子の病名がALS(筋委縮性側索硬化症)と決定したことを身内に知らせた。早速、姉の次女から電話がかかってきた。
2023年7月10日 17:40
2023年6月23日午後10時19分、付合いから55年、結婚52年のわが伴侶、児玉悦子が永眠した。「もう別れが近いかもしれない」と悟り、6月19日から病院泊まりを始めた。
2023年6月30日 12:10
(株)データ・マックス創業者の1人であり監査役でもあった児玉悦子が6月23日午後10時19分に永眠しました。故人を弔うため25日に通夜、26日に葬儀を執り行いました。
2023年6月29日 10:30
分譲マンション企画販売の(株)アーム・レポ代表取締役・田中浩和氏が6月24日未明の午前4時、突然の血圧急降下に襲われて亡くなられた。62歳であった。
2023年6月19日 18:00
Aはある業界で頂点に君臨する企業の創業者である。しかし、そういう彼も、会社設立当時には悪戦苦闘する時期があった。設立3年目にして資金ショート寸前に陥ったのである。
2023年5月1日 12:10
古川忠県議前職は毎日新聞記者であった4月29日朝刊に彼の逮捕写真が大きく載っていた。本人自身はどういう気持ちでいたことであろう。
2023年2月9日 13:00
2月1日、東京から朝一の便(羽田午前6時25分発)で帰福、会社には午前9時ころに出社した。中洲の自社近くから、西側の天神方面を振り向いた。そこに見たのは天神ビジネスセンター。
2023年1月1日 06:00
明治維新(1868年)後、第二次世界大戦敗北(1945年)後に国家として復活をはたし、世界から尊敬される列強日本として一時、燦燦と輝き渡った方策は単純なものであった。
2022年12月7日 16:00
駐車場経営・管理業者がひしめいている。その大半は地主オーナー、不動産管理業者だ。そのなかで際立った存在なのがセイワパーク(株)であろう。
2022年12月1日 16:00
60歳まで残すところあと3年、若い時にはラグビーで名を馳せていたA。東京の友人Bから筆者に、Aによる「無心のお願い」レターがメールで転送されてきた。
2022年10月26日 17:03
故・安倍晋三氏は、「日本民族の誇りの復権」を掲げていたからこそ民族派から一定の支持を得ていた。ところが、故人は旧統一教会が「日本は朝鮮半島に捧げる存在。金を上納するのは当然」という教えに従い、日本市民から金を巻き上げられても知らん顔で無視してきたわけだ。
2022年10月11日 15:21
福岡の建売業を黎明時代から牽引されてきた畑中徹氏が8月12日に永眠された。御年88歳。最近は体調を壊して闘病生活を送られていたという。