2024年04月24日( 水 )

【追悼文】失敗を乗り越え、80歳を超えても精力的に活動~元ヤオハン代表・和田一夫氏

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和田一夫氏(2010年10月撮影)
和田一夫氏(2010年10月撮影)

 国内外に総合スーパーを展開した元ヤオハングループ代表の和田一夫氏が19日、老衰により、静岡県伊豆の国市の自宅で死去した。90歳。

 1929年生まれの和田氏は、両親が営んでいた静岡県熱海の青果商「八百半」を継いで、62年に社長に就任。高度成長期に国内の流通競争が激しくなるなかで、海外に活路を求めて南米や欧米、東南アジアで事業を拡大。30年間で世界的な流通・小売業にまで発展させ、ピーク時はヤオハングループで年商5,000億円を計上していた。

 だが、96年に国内事業を担っていたグループ中核のヤオハンジャパンの経営危機が表面化。97年には約1,600億円の負債を抱え、会社更生法の適用を申請するなど、事実上の経営破綻となった。和田氏も、ヤオハン関連のすべての役職から辞任。こうして、ヤオハングループは崩壊した。

 ヤオハン破綻後、和田氏は経営セミナーや講演活動などを行うなかで、縁あって2000年には福岡県飯塚市に移住し、IT企業の立ち上げなどに尽力。また、飯塚市の自宅で、若手起業家育成のための勉強会「IT松下村塾」なども開催していた。

 また、04年には中国上海市内に移住するなど、日本と中国を拠点に、講演活動や執筆、国際経営コンサルタント活動に注力していた時期もあった。

 近年は故郷の静岡県に戻っていたというが、今年8月19日に永眠となった。

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 今回、和田氏と親交の深かった2名の方に、追悼のコメントをいただいた。

 和田一夫さんは、常に「これからの新しい動きはどのようなものだろうか」と話していました。
80歳を超えても、常に積極的な話が溢れていました。たびたび自宅にうかがい、会話を楽しみました。
上海、重慶、無錫、ウランバートルなど、ご一緒したことが思い出されます。

 お悔やみを申し上げます。

建築家 有馬 裕之 氏

 和田一夫代表のご冥福を祈っております。

 私は、ヤオハン倒産後の出会いでございましたが、私自身がハウインターナショナルを創業した1999年からの約5年間は、ともに行動をさせていただき、中国の上海を始めとして、海外への同行をさせていただきました。現在、私が海外での仕事を恐れず行えていることや、困難な状況にあっても前を向いて歩んで行けるのは、和田代表とともに行動し、学ばせていただいた約5年間があってのことです。

 2000年に福岡県飯塚市に引っ越してこられてからの約2年間、新しい時代に貢献する若手経営者育成のための「IT松下村塾」を行っていただき、その塾生たちは今も国内外で活躍しております。

 これまで、本当にありがとうございました。

(株)ハウインターナショナル 取締役会長
(株)chaintope 代表取締役社長 正田 英樹 氏

 故人のこれまでの功績を称えるとともに、ご冥福をお祈りしたい。

【坂田 憲治】

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