2024年04月20日( 土 )

【コロナと対峙する企業】日産自動車~赤字6,712億円は、カルロス・ゴーンの「負の遺産」の清算だ!「平時リーダー」の内田誠社長は「有事リーダー」のゴーン前会長を超えることができるか(前)

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 日産自動車の2020年3月期の連結決算は、最終損益が6,712億円の赤字となった。経営難に陥り、カルロス・ゴーン前会長が再建にとりかかった2000年3月期の最終赤字6,843億円に匹敵する規模となった。日産は20年前に逆戻りした。内田誠社長兼最高経営責任者(CEO)は、ゴーン前会長のように日産のV字回復ができるだろうか。

販売台数は500万台なのに、生産台数は700万台

 日産自動車は4月28日、新型コロナウイルスの感染拡大の影響や一時的な損失発生で、20年3月期決算の最終損益は850億円から950億円の赤字になると下方修正した。
 ところが、5月28日に発表した最終損益は6,712億円の大赤字。わずか1カ月で赤字幅は7倍膨らんだ。日産の内田誠社長は記者会見で、その理由について、「日産固有の事情」に言及した。
「(世界での)販売台数が500万台レベルなのに、(生産能力が)700万台規模では、事業を続けて利益を出していくのは非常に難しい。これまでの失敗を認め、正しい軌道に修正する」
 「ゴーン拡大路線」と決別して、ゴーン前会長の「負の遺産」の清算に踏み切るというわけだ。

 日産が今回打ち出した構造改革費用や事業資産の減損損失は計6,030億円にのぼる。ゴーン前会長が約20年前にまとめた「日産リバイバルプラン」による工場閉鎖や人員削減などで発生した特別損失(7,000億円)に迫る規模だ。
 拡大路線を進めたゴーン前会長の逮捕からすでに1年半。幹部間の対立やルノーとの関係悪化で、時間を空費した。やっと、リストラに踏み出した。だから、ゴーン前会長から「のろま」と揶揄される。

日本人は「のろま」だ

 ブラジル主要紙エスタド・ジ・サンパウロは1月12日、日本から中東レバノンに逃亡した前日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告とのインタビューを掲載した。「日本人はのろま」との見出しで速報したメディアがあったが、翻訳が不適切であったと修正した。

 共同通信(1月13日付)は、こう配信している。

 〈被告は逃亡について「決定、計画、実行とも迅速に行った。なぜなら日本人は迅速でないからだ」と語った。
 被告は「日本人は綿密な準備と計画がなければ、迅速に行動しない。逃亡を成功させるには、素早く出し抜く必要がある」と述べた〉

 「日本人は迅速ではない」というくだりを、某社は「日本人はのろま」と翻訳したわけだが、翻訳をミスったとは思えない。日本人に恨み骨髄のゴーン被告なら、おそらく過激な言葉でしゃべりまくったに違いないからだ。

「有事」のリーダーたれ
 コロナ大恐慌に立ち向かう経営者に求められる資質は何か。
 「有事」のリーダーになることだ。

 「平時」のリーダーは、マネージャータイプのリーダーである。規則をつくり、ルールと目標を与え、管理し、組織に規律をもたらす。根回しや、気配りに長けた調整型リーダーだ。日本の大企業のトップは概ね「平時」のリーダーだ。
 「有事」のリーダーは、非常事態に対処するわけだから、修羅場に強いことが最大の資質になる。会社の危機はまさに修羅場である。食うか食われるかの決断の時が来る。こういう修羅場で鬼になることができるのが「有事」のリーダーである。修羅場で千人力を発揮しなければならない。「平時」のリーダーでは絶対に務まらない。
 ゴーン氏は「平時」のリーダーとしては毒がありすぎて、暴走をもたらしたが、修羅場に強い正真正銘の「有事」のリーダーであった。

初期の成功は、日産の社員に倒産の危機を実感させたこと

 ゴーン氏のデビューは鮮烈だった。1999年10月18日、都内のホテルで開かれた「日産リバイバルプラン(NRP)発表会」。破綻寸前の日産に乗り込んだ彼は、こう言い切った。
「この計画で発表した3つのコミットメント(必達目標)」のうち、達成できないものが1つでもあれば、自分を含めて取締役全員が退任します」

 それまでの日産の経営者にはなかった発言である。目標の達成に責任を負うと、公に約束した。目標は、努力目標ではなく進退を賭したものとなる。
 コミットメントによって、ゴーン氏は日産改革の主導権を握った。
 NRPには具体的な数値目標が明示された。危機感のない社員に、「いままでのやり方では通用しない」と思い知らせるショック療法だ。
 2.1万人の人員削減、村山工場など国内5工場の閉鎖、部品サプライヤー(供給業者)を半減、直営ディーラー数の20%削減などなど。

 ルノー時代に「コストカッター」の異名を取ったゴーン氏らしい撤退的なコスト削減計画である。NRPが発表になったとき、日産を襲った衝撃は凄まじかった。日産は倒産したと宣言されたのも同然であったからだ。
 コミットメントの数値目標達成の原動力になったのは、日産の社員が危機感をもったことだ。リストラでもっとも難しいのは人員削減である。大争議が起きても不思議ではない。

 しかし、敗戦や倒産に直面し、「いうことを聞かなければ自分たちが生きていけない」と悟ったとき、日本人はじつに従順になる。社員が倒産という危機的状況を実感し奮起したから、日産は生き返った。
 日産リバイバルプランは1年前倒しで達成。日産は華々しく復活し、カルロス・ゴーン氏は一躍、経営者の鑑となった。ゴーン氏は修羅場に強い「有事」のリーダーだった。

(つづく)

【森村 和男】

(後)

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