2024年04月19日( 金 )

コロナの先の世界(15)イスラエルの経験と教訓(2)

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東洋英和女学院大学 学長 池田 明史

 NetIB‐Newsでは、国際経済連携推進センター(JCER)の記事を掲載している。今回は、情報コミュニティを活用してコロナ抑制に成功したイスラエルの事例を基に、生存権(感染阻止)と生活権(プライバシー保護)とのバランスについての問題を提起した紹介(2020年6月16日)。

情報コミュニティの動員と活用

 しかしながら、蓋を開けてみると、懸念されたパンデミックの蔓延は回避され、イスラエルは一転してコロナ対応の優等生として注目される存在になっている。その最大の功労者と考えられているのは、内閣や政党ではなく、保健省など通常の官僚機構でもなく、イスラエルにおいていわゆる情報コミュニティを構成する治安・諜報機関にほかならない。対外諜報活動を主務とする「モサド(対外特務機関)」、国内防諜・公安に任ずる「シンベト(総保安局)」、そして国内外の軍事情報の分析や戦略見積もりを担当する「アマン(国防軍情報局)」がその中核である。モサドとシンベトは首相府の管轄下にあり、アマンは国防相・参謀総長の隷下に置かれている。これらの治安・諜報機関が対処すべき脅威は、各種のテロから大量破壊兵器、サイバー戦まで多岐にわたり、安全保障上喫緊の課題も多い。このため、政策決定過程で大きな方針が定められた後は、それぞれの機関には作戦上の柔軟な裁量が与えられるのが通例である。

 今般のコロナ禍は、狭義の意味では国家の安全保障に直結するものとは解釈されなかったものの、市民の安全と生活の安寧を根底から脅かす事態であるとの認識が共有された結果、これらの治安・諜報機関が民生領域を支援するかたちで動員されることとなった。モサドはすでに2月には、保健省や医療関係者から、PCR検査キットや試薬、人工呼吸器や人工心肺装置、医療防護具、高機能マスクその他の必需品リストと最悪シナリオに備えた必要量の推計を入手し、直ちにその確保に向けた作戦を開始した。全世界に張りめぐらせた情報収集・諜報工作ネットワークを稼働させ、3月下旬には数十万件の検査キット、数百万枚の手術用マスク、数万枚のN-95高機能マスク、国内の医療関係者に十分いきわたるだけの防護具などが国外から次々に搬入された。人工呼吸器や人工心肺装置などの高度医療機器は必要量の完成品を確保したのみならず、その設計や製造にかかわる最先端技術についても併せてイスラエル国内に持ち込んでいる。

 パンデミックが進むにつれて世界中で争奪戦が展開されたこれらの医療資源について、イスラエルは安全保障領域での情報収集や諜報工作に当たる特務機関のネットワークを駆使していち早く全世界からかき集めることに成功したのである。当然ながらそこには、先進諸国の最先端研究施設におけるコロナ研究の知見や実験結果といったソフト情報も含まれる。

 国内に潜入したテロリストや敵性勢力のスパイ、あるいは政治的危険分子等を捕捉・監視する防諜機関であるシンベトは、高度に発達させた彼ら独自のトラッキング(接触確認・追跡)システムを、保健省から入手したPCR検査陽性反応者に適用した。主として通信会社より提供されたスマホや携帯電話など電子端末機器の記録を解析して、過去2週間に遡って、彼らが2m以内の距離において15分以上接触した人物をすべて割り出し、保健省や警察に通告したのである。これらの濃厚接触者はその事実を通告され、2週間の自己隔離を命じられる。警察は、彼らが隔離を順守しているかどうかを、これも電子端末機器によって常時監視する。高層住宅などでは、ドローンまで投入して対象者の所在を確認したと伝えられる。トラッキングによって感染経路をあぶり出し、濃厚接触者を隔離してパンデミックからの出口戦略を模索するという保健省公衆衛生局の方針は、シンベトの積極的な支援と協力がなければ成り立たなかったといえよう。

 保健省など民生領域の官僚機構や医療機関と、より組織的な連携を強めて統合的なコロナ対策を展開したのが国防軍の情報部門を統括するアマンであった。保健省の指示によって立ち上げられたコロナ情報知識国家センター(CNIKC)がその拠点となり、国内の感染者数その他の罹患情報、国外での対応状況、薬剤の有効性やワクチンの開発情報など、新型コロナにかかわるありとあらゆる情報を収集し分析し、その結果を日常的に発信している。そこには、多数の医師や研究者、技術者と並んで数百名規模のアマン要員が投入され、センター長もアマンからの軍人が充てられている。情報中枢機能を担うと同時に、アマンは軍の技術開発部門と保健省や国内各大学・研究機関など民生領域とを結ぶコーディネーター的な役割をはたし、検査方法や人工呼吸器の改善・量産に向けてのデータや成果を迅速かつ実効的に共有できる態勢を構築した。

(つづく)


<プロフィール>
池田 明史(いけだ・あきふみ)

 1955年生まれ。80年東北大学卒、アジア経済研究所入所。97年東洋英和女学院大学社会科学部助教授、2014年から同大学学長。専門は国際政治学、地域研究(中東)。
 著書多数。『途上国における軍・政治権力・市民社会――21世紀の「新しい」政軍関係』(共著、晃洋書房)など。

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