2024年04月19日( 金 )

コロナの先の世界 (15) イスラエルの経験と教訓(3)

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東洋英和女学院大学 学長 池田 明史

 NetIB‐Newsでは、国際経済連携推進センター(JCER)の記事を掲載している。今回は、情報コミュニティを活用してコロナ抑制に成功したイスラエルの事例を基に、生存権(感染阻止)と生活権(プライバシー保護)とのバランス問題について(2020年6月16日)。

成功の背景と残された課題

 アメリカでは感染のホットスポットに米海軍の病院船が投入され、日本でも感染クラスターが初発したクルーズ船に自衛隊の医療チームが差し向けられるなど、各国ともパンデミック対策の一環で軍隊の機能が動員される事例は珍しくない。しかし、イスラエルのように軍を含めた国家の治安・諜報組織がそれぞれの特性をフルに稼働させて少なくともコロナ第1波の感染爆発を抑止したケースは、中国や北朝鮮といった強権的な独裁国家を別として、いわゆる西側民主主義諸国のなかでは稀有であったと考えられる。

 もとよりそこには、そもそも人口規模が小さく、しかも安全保障上の深刻な問題を常時抱えた臨戦国家イスラエルだからこそ可能だったという側面もあろう。とりわけ、国民皆兵理念の下にいまだに徴兵制を布き、男女ともに数年間の現役年限を終えてもそのまま予備役に編入され、その後も数十年間訓練や実戦のために毎年一定期間を招集されるというイスラエル社会固有のエートス(持続的な特性・習慣)が作用していたと思われる。

 この国にあっては、市民とは「長期休暇中の兵士」であり、兵士とは「制服を着た市民」にほかならない。彼らにとって、国防軍を含めた情報コミュニティは公共部門・民間部門のどの官庁・企業よりも信頼性が高いものであり、人々の信用を集める傾向が強い。従って、政治が如何に混乱し、社会の分断が顕在化した昨今のような情勢のなかでも、モサドやシンベト、アマンが支援し連携していることが明らかな政府の指示や要請に対しては、日ごろ権威に対して決して従順とはいえない多くの市民が、ほとんど無条件に応じるという現象が見られたのであろう。

 もっとも、イスラエルのこうした事例については「結果よければすべてよし」を意味するものではなく、国内外でいくつかの論争が展開されている。シンベトによるトラッキングの是非がその代表例で、敵性勢力に対する防諜技術を本来の目的以外に活用することに対して、一般の国民のプライバシーを侵害するとして、市民権運動団体などから行政訴訟が起こされた。感染阻止という生存権と、プライバシーを守る生活権とのいずれが優先されるべきかをめぐって、法廷で激しい論戦が繰り広げられたのである。

 そこでは、そもそも誰が、いつ、誰と、どのくらいの距離と時間で接触したかを知ることが、検査件数を増やしたり、予防知識の拡散や防疫体制を強化したりすることと比べて、どれだけ実効的なのかに始まって、政令や行政命令で開始されたこの措置を制御し、管理する法的正当性の有無に至るまで、数々の重要な論点が示された。「緊急事態においては緊急的制限も受忍されるべきである」との政府側の主張に対して、とりわけジャーナリストの団体から、トラッキングによって取材源や情報提供者が暴露されれば、言論の自由が失われるとの強い反論が出された。

 4月下旬の最高裁判決は次のように判示している。「国家の予防的安全保障機関を公安秩序に危害をおよぼす恐れのない市民の追跡捕捉に活用するという選択は、監視対象者の個別明示的な許諾がない限り、極めて深刻な困難を惹起するものである。プライバシー保護に関する諸原則を満たす別の手法が求められるべきである」。緊急事態においてこそ、緊急的措置については民主主義的正当性を担保する適正な前提や制約が必要だという結論である。

 この判決を受けて、イスラエル国会はトラッキングの運用を監視し統制する新たな法律の制定を急ぐこととなった。すでに国会は警察に対して、自己隔離を命じられた感染者や濃厚接触者のスマホなど携帯端末による所在確認の中止を命じていた。このように、トラッキングのもたらす便益とそれが引き起こすプライバシーなど基本的人権の侵害との比較考量が、イスラエルの市民社会における公共的な関心の焦点となっている。

(つづく)


<プロフィール>
池田 明史(いけだ・あきふみ)

 1955年生まれ。80年東北大学卒、アジア経済研究所入所。97年東洋英和女学院大学社会科学部助教授、2014年から同大学学長。専門は国際政治学、地域研究(中東)。
 著書多数。『途上国における軍・政治権力・市民社会――21世紀の「新しい」政軍関係』(共著、晃洋書房)など。

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