2024年05月02日( 木 )

【凡学一生のやさしい法律学】河井克行・案里夫妻買収事件の闇(4)

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今後の注目点

 被供与者は基本的に検察側証人として出廷するが、当然弁護側は当該証人に対して本来は、対向犯被告人として検察と対立すべき立場の人間が検察側の協力者となった経緯理由を尋問されることになる。

 証人が「検察側の意図に沿った証言をすることにより、対向犯被告としての起訴を免除猶予された」と証言するだろうか。検察側は当然の弁護側の質問に対して、「刑事責任の追及の恐れがあるため証言を拒否する」という、財務省幹部で後に国税庁長官にまで出世した佐川宣寿氏の名セリフを用意しているにちがいなく、国民は再び、奇妙な日本の法治主義の現実をみせつけられることになる。

 佐川氏の証言拒否は、法的には正当である。では、法的には正当であるが、国民感情からすると許されない証言拒否は、どのように対処すればよいのか。佐川氏の場合はその証言による第1被害者は、自死した部下であるから、現在、遺族から民事賠償請求を受けている。実は重大な第2被害者が存在するのだが、その野党の党首は自分が弁護士でありながら、被害者であることすら気づいていない。国会議員としての業務・真実を国民に明らかにする義務の履行が佐川氏の私権の行使によって侵害されているのであるから、この野党の党首こそ、業務妨害罪や不法行為を理由に佐川氏に民事賠償請求訴訟を提起すべきであった。正当な権利の行使であっても、全体的な法秩序から認められない場合は、「権利濫用論」を始めとして多く存在する。

 結局、闇の司法取引の存否にかかわらず、同じ対向犯の犯罪者である被供与者が、供与者を有罪とする証言によって自己が負担すべき不利益から逃れられるという状況こそ、人類文明が明確に否定してきた人道に反する行為である。これを公僕たる検察官が主導して、同じ公僕である裁判官が容認する社会は民主主義国ではなく、官僚が支配する権威主義国家(官主主義国家)にほかならない。

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