2024年12月09日( 月 )

NTTドコモはなぜKDDI(au)とソフトバンクに敗れたのか?~ガチンコの「競争」未経験(中)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

ドコモの海外M&Aは4戦全敗

 NTTグループの海外M&A(合併・買収)は失敗の連続だった。2000年代前半、NTTグループの海外進出の切り込み隊長の役割を担ったのがNTTドコモだ。

 ITバブルの到来によって株価が急騰してとてつもないマネーを手にしたドコモは海外M&Aの先陣を切った。ドコモの世界進出は日本のIT戦略の象徴と称された。その後、日本の大企業はそろって海外でのM&Aに乗り出したが、ことごとく失敗した。

 ドコモは2000年にオランダのKPNモバイルに4,000億円、英国のハチソン3GUKに1,900億円投資した。ハイライトは01年、米国の携帯電話会社AT&Tワイヤレスに1兆2,000億円を投資した。第3世代携帯電話とiモードの世界展開をにらみ、巨額投資に踏み切った。

 しかし、海外事業はいずれも失敗。05年にはすべて撤退し、損失額は1兆5,000億円に上った。高い授業料を払ったが、懲りなかった。米国進出に失敗した後、次に目をつけたのはIT大国を目指すインドだ。
 09年にタタ・グループのタタ・テレサービジズに2,600億円出資した。携帯電話がお荷物になっているタタ・グループにとって、渡りに船だった。

 「TATA DOCOMO」の看板を掲げて、インドの携帯電話市場に進出。インドでは「世界でもっとも厳しい」といわれる値下げ競争が繰り広げられている。上位キャリアが秒単位の課金など斬新な料金体系を導入して反撃すると、「TATA DOCOMO」は失速し、14年にインドから撤退。ドコモはこれで海外のM&Aに4度失敗したことになる。

 ドコモは「乳母日傘」で過保護に育てられたため、生き馬の目を射抜くような競争をしたことはなかった。しかし、一歩外国に出ると、強いものが弱いものを餌食にする弱肉強食の世界である。海外勢にとって金満家のドコモはカモがネギを背負ってきたようなものだ。鳴り物入りで取り組んだ海外進出は、さんざんに食いつくされて終わった。

“天敵”ソフトバンクが”0円商法”で殴り込み

 ドコモは日本国内でしか威張れない内弁慶にすぎなかった。そのドコモに”天敵”が登場した。孫正義氏が率いるソフトバンクである。06年、ソフトバンクは2兆円を投じて英ボーダーフォン日本法人を買収。その年から始まった「番号ポータビリティ(加入者移転)制度」という名前の携帯電話分取り合戦に参戦した。

 孫氏はシェア至上主義者である。携帯電話の世界でも価格破壊を巻き起こした。思い切った低い価格に設定して、シェアを奪うことに力を注ぐ戦略は、彼がもっとも得意とする”孫氏の兵法”である。

 07年の携帯電話の加入者の純増数(新規契約から解約を差し引いた数)で、ソフトバンクはトップに立った。番号ポータビリティ制度が始まった当初、ソフトバンクは草刈り場になるとみられていたが、蓋を開けてみれば、ドコモやKDDIからソフトバンクに乗り換える利用者が多かった。ソフトバンクの低価格が消費者に支持された。
 07年は携帯電話業界の節目になる。米アップルが初代「iPhone」を発売。スマホが携帯電話市場を席巻し始め、既存の携帯電話は「ガラケー」と呼ばれて衰退していく転換点となった。

 ソフトバンクは08年、iPhoneを国内で独占販売。端末を割賦で購入すれば、月々の通信料金とされる”0円商法”を導入した。これがソフトバンクの1人勝ちをもたらした。
 KDDIは11年、ドコモは13年にiPhoneの販売を開始した。スマホで後手に回ったことが、ドコモが競争に敗れる要因になった。

(つづく)

【森村 和男】

(前)
(後)

関連記事