2024年05月04日( 土 )

我が国の再生、「鍵」は人事評価制度改善と給与格差縮小にあり(前)

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 筆者は、世にいう"団塊世代"である。何事もなく古希を越えて、すこぶる元気である。体力の多少の衰えは感じるが、精神力については、世間の壮年期の人たちと比較して、我ながらますます意気軒高だと思う。

 ここ半世紀を回顧してみると、小泉政権以後の失われた20年も含めて、日本人のあらゆる組織・階層の男たちが、年々覇気と胆力をなくしているようにみえる。それに比して、同世代の女たちはますます元気になっている。

 政治家、官僚組織の幹部、民間企業の管理職の人たちも、概ね同様であり、決断力がなく、礼節に欠け、人に対する優しさもないようにみえる。彼らの多くは、慇懃無礼で、忖度ばかり行う自己保全型の人間だ。このような人たちが横行するようになった“根源”は何なのか?

減点主義と敗者復活戦

 団塊世代の人たちは、物心がついてから高度経済成長期に至るまで、現在の世間に対して感じるような弾力性の欠如、堅苦しさ、息苦しさ、また異様なまでの冷たさを感じたことは、ほぼなかったと思う。

 これらの現象は、おそらく高度経済成長期の終わり、すなわち、昭和40年代の後半から1975年前後に始まっている。ベトナム戦争が終わりを迎えようとしており、米国の傘の下での庇護と他国の災いという特需景気による我が国の平和と発展が分岐点を迎え、経済の減速が言われ始めた頃だ。

 首相の菅義偉氏も団塊世代である。

 我々の世代は、親が戦争の実体験者であり、戦後の子だくさん家庭で育ち、常に競争を強いられてきたが、この時代、親も、学校の先生も、近所のおじさん、おばさんも、クラスの番長でさえも、"義侠心"というものをもっていたように思う。これは決してヤクザのみに使われる言葉ではない。

 男子たるものは"判官贔屓"であるべきと教えこまれた。人の世であるからは当然、落ちこぼれる人もおり、イジメも行われていたが、現在のとは異なり陰湿なものではなかった。これらは教育の問題ではない。また、殴り合いのケンカをしても、直ぐに仲良しとなり、逆に深い絆で結ばれ末永い友情を育んだものだ。

 “根源”の"原因"は、社会のあらゆる組織内の人を評価する仕組みと方法が、経済効率を重視するあまりに、「加点主義」から「減点主義」に変わったことにあると思う。これが管理型社会の始まり、その起源だと確信する。企業では同じころ、各支社・支店の権限が弱められ、本社一極集中が進められた。

 減点主義はいわば人の"粗"だけを見つけて評価するものである。一次評価は自己採点、二次評価は直属の上司という流れで、各々の立場で同じ項目に対する評価を行う。満点を100点とすれば、そこから減点するのみの評価方式であり、良い所に対しては一切の加点はない。

菅内閣は戦後最後の管理型社会政権

 この減点主義に基づく評価制度は、1975年頃、学校、会社、場合によっては家庭でも同じころに始まり、現在まで続き、当たり前のように実行されている。人間誰しも良い所、悪い所はあるが、その良い所に対する評価をほとんど行わない仕組みになっているのだ。

 政府もマスコミも、それぞれの主観に基づいて、人の一度の失敗を寄って集って責め、叩きまくる世の中だ。それでいうことを聞かない者は切り捨てられる。何と懐の浅いことか!失敗しない人などは居ないのだ!だから、人々は恐れ、失敗を認めず謝らず、可能な限り隠すという、恐怖心から来る自己保全型の悪循環の仕組みへと発展した。

 この評価方法に問題があるのではないか。このために人々は萎縮し、ストレスをため、自己保全に走り、人の傷みがわからなくなり、弱者をイジメ、優しさから遠ざかっている。

 このような評価方式は我が国特有のもので欧米にはない。現在の菅政権も自覚はしていないが、一部の専制政治の諸国よりもひどい慣習ではないかと思える。菅首相は団塊世代で、胆力だけはあるため、周りの部下達はほぼ全員が忖度するだけの自己保全型イエスマンとなっている。

 大げさにいうと、今の60代以下のすべての男たちは、一度の失敗でその後の人生が決まるものと勘違いし、恐れおののいている。今の政治家、マスコミのコメンテーターは、豊かな社会で育ち、高学歴で、平和ボケで実務経験が少ないという共通項がある。先輩たちが過去につくったものにあぐらをかき、机上の空論を唱え、他人の失敗を責めるばかりの懐の浅い人間に成り下がっているのだ。

 昭和の終わり頃、テレビの討論番組で、当時の問題児、漫才の「やすきよ」の故横山やすし氏(当時40歳前後)が、田中角栄元首相が病に伏し苦しんいる時にも批判する大学生たちに、この"義侠心"について問い、現在病んでいる人を責めるべきではないと戒め、反省を促した。現在このような懐の深い光景をみることはまずない。

(つづく)

【青木 義彦】

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