2022年01月25日( 火 )
by データ・マックス

武田良太代議士、「国盗り物語」実現の可能性は80%!

若い頃の苦労は1,000億円の価値

 20代で国政に挑戦してあえなく落選。ここから武田良太氏の戦いが始まった。「喧嘩(けんか)上等」の筑豊魂を地で行き、政界の「暴れん坊」との異名を轟かせたが、いまや若手の面倒をみる立場になった(詳細は「【特別インタビュー】福岡最後の傑物政治家 武田良太の「国盗り物語」(前)」を参照)。

武田良太・元総務相
武田良太・元総務相

    本音では、「60歳(あと7年)までには自民党総裁から日本の総理大臣ポストを奪ってみせる」という戦略を武田氏は練りあげている、とみた。やはり国政挑戦における連敗が本人にとっての貴重な財産となったのだろう。お金に換算すると1,000億円の価値があるのではないか。現金が1,000億円あれば自民党を乗っ取ることは可能だ。

 若い頃の苦労は、いずれ大きなパワーを発揮することにつながる。ところが、だ! 衆院選福岡1区、2区、3区、各区の自民党代議士たち(井上、鬼木、古賀)は運が良かっただけ。2012年総選挙では民主党(当時)が自滅して自民党が圧勝。その余勢を駆って3人の代議士は何の苦労もなく初当選。そこからこのたびの解散総選挙で4選をはたした。

 3人の代議士のなかで最も期待されていたのが福岡3区の古賀(篤)代議士だろう。久留米大附設から東京大学卒、官僚出身。素材としては確かに優秀だろうが、この10年間、漫然と議員をこなしてきただけだ。苦労がなければ誰しも「鈍」になるのは必然。体内に染みついたこの「宿便」を一掃するのは容易ではあるまい。あと7年もすれば、武田自民党総裁から「あごでこき使われる運命」が待ち構えているだろう。

野心を隠そうとしない潔さ

 武田氏には昨年11月から取材を申し込んでいた。取材が実現したのは仕事納めの12月28日、午後5時半から午後6時半までだった。しかし、そこに至るまでに取材時間の変更が繰り返された。当初は午後4時半からだったものが午後5時半からのスタートに変更。東京からの飛行機が遅延したからだ。

 この日は非常に寒かったのだが、1時間を無駄なく過ごすべく、JR行橋駅周辺を歩いたところ、駅周辺の活気のなさに「行橋でさえ、こんなにもうら寂しいのか」と愕然とさせられた。福岡11区の中心部はここ、行橋駅なのである。

 取材内容に関しては「【特別インタビュー】福岡最後の傑物政治家 武田良太の「国盗り物語」(前)」を参照されたし。後日譚を少し。聞き手である私から以下のようなメールを武田氏に送った。

 「久しぶりに痛快な取材をさせていただきまして、ありがとうございます。今回のタイトルは『国盗り物語』でいきます。ご見解をお願いします」

 さっそく、武田氏から折り返しのメールが届く。「結構です。お世話になりました」と物怖じしない堂々とした返答である。これがたとえば福岡2区の鬼木(誠)代議士なら、「いやぁ、自分の野望を公にするなんてやめてくださいよ」という返事だっただろう。政治家としての両人の器の大きさは100倍の開きがあると評価してよかろう。

 1時間におよぶ取材が終わったあと、応接室にはすでに3名の来客が待っていたようだ。選挙区に戻っても武田代議士は息つく暇もない。

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【特別インタビュー】福岡最後の傑物政治家 武田良太の「国盗り物語」(前)

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