2024年04月20日( 土 )

資金需要急拡大で悪手、事業承継できず代表病死

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 キュービクル(高圧受電設備)を活用した電気料金低減ビジネスで業容拡大した(株)総合電商は、過去最高の売上高を計上した2021年12月に破綻した。資金需要が急増するなか代表が発病し、資金繰りなどの意思決定の遅れが響いた。破綻後に代表は急逝したが、発病からの2年間に後継者育成・招へいや事業譲渡などの道筋をつけられなかったことが悔やまれる。

規制緩和にはまったビジネスモデル

 総合電商は、中保人氏がキュービクル販売会社での経験を基に、2005年6月に北海道・帯広市で設立した。キュービクルとは、価格の安い電力を受電し変圧する機能を持つ設備。大型商業施設やオフィスビルなど消費電力の多い施設で数多く導入されてきた。前職時代にキュービクルの価格競争を経験していた中氏は、創業後に無償でキュービクルを設置するサービスを打ち出す。保守メンテナンスも無償で引き受け、代わりに総合電商から電力を購入してもらうスキームをつくった。この時期、規制緩和により新電力会社の参入が相次いだことで、総合電商は新電力から安価な電力を仕入れることができるようになった。新しいビジネスモデルは順調に滑り出した。

総合電商売をめぐる主な経緯

    16年には電力小売の全面自由化により、商店や一般家庭への参入が解禁された。コンビニなど小型店への攻勢を強めた総合電商の売上高は、16年5月期の27億2,904万円から17年5月期に40億円超えの大幅増収となった。18年5月期は39億円に満たず足踏みするが、無償設置から一歩踏み込んだ既設キュービクルの買い取りに参入する。創業来10年以上にわたり無償設置の実績を重ねるなかで、十分に回収可能と踏んだ。営業代理店を活用して買い取りを急ぐ。そして、キュービクルの投資家への転売を発案する。代わりに賃料を支払うというもので、買い取りで資金調達する手法を編み出した。グループ内の業務分担を明確にし、総合電商や代理店が買い取ったキュービクルを管理会社に集約。管理会社は電力の仕入・販売も行う。現業員を要する点検、整備は外注業者に任せる。19年5月期は20%以上の増収を遂げ、49億3,334万円を計上した。

成長途上で福岡支店分社

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 19年6月、総合電商は福岡支店を分社化している。もともと福岡支店は九州地区の建設部門という色合いが強かったことに加え、営業力が突出していた。役割分担の目的もあり(株)建商として法人化。社長には福岡支店長・田中智之氏が就いた。田中氏は大手ハウスメーカーの九州の主要拠点で要職を務め、建築業界に広いネットワークをもつ。分社前の部門売上は17億円を計上していた。建商は飲食チェーンや量販店などの工事を手がけ、実質1期目の20年5月期に19億4,542万円を叩き出している。その分、総合電商が売上を落とし20年5月期に36億6,022万円にとどまったが、両者合算では前年を上回った。21年5月期の建商の売上高が17億4,841万円にとどまったものの、本業に特化した総合電商は59億1,194万円の大幅増収を遂げた。

資金繰り悪化で複数の紛争案件

キュービクル イメージ
キュービクル(画像はイメージ)

    21年11月、キュービクルオーナー(投資家)に対する賃料支払いの遅延が表面化。決算上順調だった総合電商の内実は火の車だったことが浮き彫りとなった。近年の当期利益率は高い年でも1.3%。東京への本拠移転や福岡を含む8拠点の設置・維持費、テレビCM放映費用、キュービクル設置・買い取りコストや保守外注費などの費用が業容拡大を超えるスピードで増大し続けていた。痛かったのは投資家へのキュービクル売却だ。一部自社で保有する分もあるが、ほとんどは投資家に売却されていた。そのなかには、売却代金の10%の年間家賃を支払うプランもあった。目先の資金調達ができても利幅を大きく削ることになる。ふたを開けてみると、21年の総合電商の紛争案件は8件に上っていた。内訳は、第3債務者への債権差し押さえ命令・仮差し押さえ申し立てが計5件、個人からの貸金請求2件と損賠賠償1件。

 11月以降、代表の中氏の体調は深刻な事態に陥り、経営幹部らは事業継続へ向けた対応を協議したが、12月初旬、中氏は経営幹部を招集し自己破産の意思決定を通達する。大手電力会社に供給を引き継いでもらうためには、総合電商の倒産処理が必要だったことが決断の理由とされている。生活インフラとしての電力の重要性を説いていた中氏らしい決断ともいえた。倒産専門の弁護士を招へいし、事後処理を依頼。その指示により健康状態が悪化した中氏に代わり、子会社社長を社長に据えた。その直後の9日、中氏は死去した。同16日に東京地裁に自己破産を申請し、破産手続き開始決定を受けた。

【鹿島 譲二】

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