2024年05月21日( 火 )

巨人稲盛和夫氏に学ぶ(1)身近にいながら真剣に向き合わず、悔いる

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 京セラを立ち上げ、第二電電創業者を経て日本航空を会長として陣頭指揮して再生させた実績、このような異業種にわたって1兆円を超える企業経営を果たした故人・稲盛和夫氏のような経営者は、日本にはもはや存在しない。「盛和塾」においては全国、全世界の経営者育成に貢献された。各方面に、巨人・稲盛和夫氏から受けた薫陶について聞いてみた。

倒産で終わった後輩A

 A氏は稲盛氏の実家・鹿児島市薬師町近くで育った。年齢は稲盛先輩が12歳年上になる。玉龍高校、鹿児島大学と同じ学校で学び卒業した。

「大学は学部が違っていたから当時は縁が薄かった。だが玉龍高校ではいろいろなOB会においてお目に掛かっていた。酒を飲み交わし、議論も交わしてきたことが思い出としてある。本当に頭が低く、気配りに長けた人格者であった。この偉人には後輩として強い誇りをもった。ただ思えば、あのような偉大な先輩にはもっと謙虚に私淑すべきであったと今になって後悔している。もう後に戻ることはできないのだが――。」

「セールス力に自信満々であった自分は平成初頭に会社を起こした。スタートして3年間、順調な業績であったことから経営を甘く見てしまった。管理の杜撰さが災いして倒産の憂き目とあいなった。もっと自制し、もっと謙虚に、人間として、また経営者として、大先輩から学ぶ姿勢を貫いていたならば、こんな哀れな人生転落はなかったはずと後悔する日々であるが、もう遅い。」

(2)

関連キーワード

関連記事