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2015年08月12日 07:07

不戦と平和への祈りを込めた、ビルマ慰霊の旅を続ける(後)

(株)小笠原

 2015年8月15日は、第二次世界大戦の終戦からちょうど70年目。現在、我が国では集団的自衛権の行使の限定容認などの安全保障関連法案をめぐり、政治が揺れているが、その議論については他方に任せたい。そのようななかで、フリーユニットバスのメーカー(株)小笠原の重松繁利会長と小笠原正行社長は、先代の故・小笠原平吾氏(07年、85歳で逝去)のご遺志を継ぎ、毎年1月下旬に平吾氏夫人の百代氏と親族・関係者とともに、ビルマ(現・ミャンマー)へ慰霊の旅を行っている。ビルマ戦線に参加し、一命を取り留め1946年に日本に戻った平吾氏が、亡き戦友への慰霊と不戦と平和の祈りを込めた、ライフワークであった。
 戦後70年、平吾氏のビルマ慰霊の旅を通じて「不戦と平和の祈り」を伝える活動とは――。

永世に語り継いでいくこと

今年1月の「慰霊の旅」の様子<

今年1月の「慰霊の旅」の様子

 平吾氏本人は、“九分九厘死んでいた”なかで、奇跡的に生きて帰ることができた。生き地獄の敵中を突破したのだが、「目の前にいながらも何もしてやれない無力さは、たまらなく悲しいおもいであった」と手記に綴っている。その体験が理由かは定かではないが、平吾氏は「死んだ戦友に悪いから」と、国家からの傷痍軍人手当や恩給などの補助金は、生涯一切受け取らず固辞したことを書き添えておく。

 戦後の過年平吾氏は、旧・ビルマの首都ラングーン(現・ヤンゴン)から北に約500kmにあるメクテラー・レインド村に、同連隊の有志とともに戦没者の慰霊碑を建立。1978年から毎年、平吾・百代夫妻や戦友・遺族らとともに、英霊となった戦友たちに会いに行った。また、慰霊碑の管理を行う現地の方々への御礼、そして戦時下で水や食料を旧日本軍へ与えてくれた感謝の意を伝えるため、毎年現地の小学校へ文房具やサッカーボールなどを贈っている。また、97年にメクテラーのカンナ、カンダィエの小学校の計3校に、校舎の新築費用を贈ったことも書き添えておく。さらにレインド村に慰霊碑の道標を建て、その位置を明確にした。この付近は辺り一体草原で、道らしい道は整備されていない。戦時下はもっと過酷な状態であったであろうと想像する。

 平吾氏は生前より「戦争は二度とごめん。平和の大切さを若い世代に語り伝えたい」という意志で、英霊となった戦友への慰霊の旅を続け、不戦と平和の大切さを語り伝えた。現在、平吾氏の意志を継ぎ、百代夫人や重松現会長、平吾氏の長男である正行社長が、慰霊の旅を続けている。平吾氏が遺した慰霊の旅は、永世にわたり不戦と平和を伝えていくことでもある。この平吾氏の手記を手に取り熟読し現地に行けば、交戦などという言葉が出るだろうか──。戦後70年、改めて不戦と平和、そして国防について冷静に熟考すべきであろう。

(了)
【河原 清明】

ビルマ慰霊の旅へ

 (株)小笠原では毎年1月下旬に、平吾氏のご遺志を引き継ぎ、ビルマ(ミャンマー)慰霊の旅を行っております。近年、高齢化により参加者が減少傾向にあります。不戦と平和を後世に語り継いでいくために、ぜひとも皆さまのご参加をお待ちしております。
お問い合わせ先
TEL:092-431-2751
(株)小笠原(担当:重松・小笠原)

 
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