2024年05月17日( 金 )

フジテック、香港ファンドとの大バトルで経営体制刷新(中)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 エレベーター大手のフジテック(滋賀県彦根市)は2月24日、臨時株主総会を開いた。香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントが提案していた5人の社外取締役の解任議案のうち、取締役会議長など3人が可決された。オアシスが提案していた新たな社外取締役6人の選任議案は4人が可決された。社外取締役を株主側の提案で解任するのは、日本企業では異例だ。

創業者は町工場を世界的なエレベーターメーカーに育てる

 創業者、故・内山正太郎氏は立志伝中の人物だ。中国から復員してきた正太郎氏が大阪市西区でエレベーターの製造・販売・保守を目的とした富士輸送機工業(現・フジテック)を1948年に設立した。30歳の時だ。

 ホームページに掲載されている『フジテック60年の軌跡』によると、転機は1961年。ヨーロッパ視察に旅立った内山社長は、ドイツでシーメンス社を訪れた。ギヤレスの巻上機がずらりと並べられている光景を前に内山社長は衝撃を受けた。

 エレベーターの速度を制御するギヤレス機は、スピードを上げるためにモーターやコントローラーを大きくする必要があった。シーメンス社はトランジスターでエレベーターを制御する。内田社長は「これだ!」と叫んだという。

 それからの行動は早かった。シーメンス社の核心技術を自社に導入する話をまとめた。1963年、技術陣がトランジダイン方式を完成させた。

 技術が評価され、同年大証2部に上場。「世界は1つの市場」との考えから、翌64年、初めて海外拠点として香港に進出。以後、グローバルに展開していく。

 香港ではペニシュラホテルや政府総合庁舎本部ビル、米国ではニューヨーク・タイムズ本社ビル、シンガポールではリゾート・ワールド・セントーサ、ドイツでは連邦議会議事堂、英国ではHSBC本社ビルなどにエレベーターを納入した。 

 2006年、本社を滋賀県彦根市に移転。「ビッグウィング」と称する本社施設内に、高さ170mのエレベーター研究塔がそびえたつ。

 エレベーターの保守を行う町工場を、世界的エレベーターメーカーに育てた内山正太郎氏は2003年、87歳で死去した。

2代目は世界最大の市場・中国で敗れる

エレベーター イメージ    後を継いだのが長男の内山高一氏。1951年7月生まれの71歳。ニューヨーク大学経営学部を卒業し、76年にフジテックに入社。取締役、常務、専務、副社長と昇進を重ね父親が死去する1年前の2002年に社長に就いた。

 2代目の高一社長の課題は、世界最大の昇降機(エレベーター、エスカレーター)市場になった中国市場で上位シェアを占めることだ。納入から数十年にわたってメンテナンスをするエレベーター業界は緒戦が勝負どころ。

 今日、日本のエレベーター市場は約2万台で、中国は60万台以上とみられる。桁が違う。中国で勝てなければ、存在理由はない。

 フジテックは中国市場攻略に大攻勢をかけた。だが、市場シェアを失った。

 市場シェアを分析するプラットフォームを運営するディールラボの調査によると、2021年のエレベーター業界の世界市場シェアは、米国のオーチス、スイスのシンドラー、フィンランドのコネ、ドイツのTKエレベーター(旧・ティッセンクルップ)が世界の4強。

 日本勢は、日立製作所のシェアが7.21%、三菱電機が4.62%。エレベーター専業メーカーのフジテックは8位の1.64%にとどまる。中国のエレベーター新設は一巡し、今後は保守・メンテナンスでの収益が重要になるストックビジネスに変化する。フジテックは社運を賭けた中国市場で敗れた。「物いう株主」のオアシス・マネジメントが、フジテックの内山社長の退任を求めた一因だ。

(つづく)

【森村 和男】

(前)
(後)

関連記事