2024年05月15日( 水 )

福岡県議随一の文教族 古川忠元議員の凋落

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 福岡県議会議員を7期務め、2度の国政選挙にも挑戦した古川忠氏が公選法違反で逮捕された。政治家としての氏の足跡を振り返りながら考察したい。

参議院議員選挙に挑戦

 4月27日夜、耳を疑うニュースが飛び込んできた。

「福岡県議会の古川忠県議が次男の県議選で運動員に不正に報酬を払うことを約束した疑いなどで逮捕されました」

 旧知の古川忠県議が、公職選挙法違反(事前運動および買収疑い)で、後継の息子ともども逮捕されたという。「まさか・・・あのクリーンな古川先生が?!」今回、忠氏の後継として立候補した子息とはご縁がほぼなかったので、忠氏にフォーカスしたい。

 筆者は、政治的に保守系を掲げ、20代前半の頃より県議会に教育改革を求める陳情書を出すなどしていた。そうした関係から、文教委員長を務め、教育改革に熱心に取り組んでいた忠氏と知遇を得る機会に恵まれた。

 初対面は、2001年であったと記憶する。亀井光知事時代に教育長を務めた吉久勝美氏(福岡県副知事、久留米大学理事長など歴任)が代表を務める団体の会合の席上で、名刺交換をした。

 最初の印象は物腰柔らかく、ダンディな先生というのが第一印象であった。同年7月、忠氏は参議院福岡選挙区(定数2)に無所属で立候補した。

第19回(2001年)参議院議員通常選挙 福岡県選挙区
当 松山政司 自由民主党 新 601,082票    
当 岩本 司 民 主 党 新 328,198票
次点 古川忠 無 所 属 新 319,367票

 松山政司氏との公認をめぐって争い自民党を離れての決断であったにもかかわらず、民主党(当時)の岩本司氏との票差はわずかに8831票。大健闘であった。

 忠氏は、2004年の参議院選挙にも挑戦した。このとき、民主党の大久保勉氏が、840,783票、次いで自民党の吉村剛太郎氏が636,406票、忠氏は、259,285票と前回に比べ377,121票の差をつけられた。組織の壁はなかなか崩せなかった。

 結局、忠氏は、2007年の福岡県議会議員選挙で、県議会議員として復帰をしたが、最後まで自民党に戻ることはなかった。歯車が狂ったのはこのころからではないだろうか。

県議会当選同期との共通点

 参院選後も、忠氏の政治姿勢に共鳴し、ぜひ福岡市長にとの声が何度か上がった。実際、2010年の福岡市長選に忠氏の奮起を促す声があった。本人も県議からの転身を模索していたことは間違いない。

 このときの選挙で、KBC九州朝日放送アナウンサーだった高島宗一郎氏が初当選し市長に就任する。高島氏は、昨年の市長選でも再選され、現在4期目。政令市である福岡市トップの有する権限は大きい。もし忠氏が市長になっていれば、まったく違う福岡市となっていた可能性は高い。

 10年の市長選で、忠氏がみんなの党の推薦を受けて立つという話があった。同年4月に県議会で共に行政改革や天下り防止を掲げて取り組んだ佐藤正夫氏が同党の公認を受けて参議院選挙に立候補した。

 忠氏と佐藤氏は県議時代、政治信条も近く、忠氏が2度挑んだ参院選において、佐藤氏は、自民党の拘束があるなか、除名覚悟で、忠氏を応援した。その後、自民党を離れて、忠氏が代表を務める真政会に合流した。

 当時の忠氏のブログにも「佐藤県議の政策や政治手法はもちろん私と一致しています。地方主権実現の為に『道州制』の導入なども2人の大きなテーマです。私はみんなの党の党員というわけではありませんが、彼の〝兄貴分〟 として、また一県民として今夏の参議院選では佐藤君を応援することにしました」とある。

 しかし、最終的に忠氏はみんなの党の推薦を得ることはなかった。忠氏の日頃の主張は、穏健な保守である。行政改革などでは一致できても、政策的、思想的に合わない面が出てくる。

 忠氏の支援者は自民党時代からの支援者が多い。そう簡単にみんなの党に行くというわけにはいかなかった。事実、みんなの党の福岡支部が発足した際に、忠氏は「入党はしない」と断っている。その場にいた江田憲司幹事長らは顔色を変えたという。

 その後の福岡市政は、高島市長の一強の状況となり、そして忠氏は、多くの読者がご存じの展開になったが、このことから政治家は一度チャンスを逃すとその後、巻き返すのはなかなか難しいことが理解されるだろう。

 忠氏の県議会当選同期に、現在、豊前市長を務める後藤元秀氏がいる。6期22年務めた。経歴も近く、2人とも県立修猷館高校の卒業。忠氏は毎日新聞記者、後藤氏は、西日本新聞記者であった。県議会議員は共に91年4月当選組である。

 忠氏と後藤氏は、実利を優先する自民党内にあって、票にならないと敬遠されがちな教育改革を志向したのも共通する。教育は国家百年の大計という。人を育てないことには何事も始まらない。忠氏が、NPO法人教育オンブズマン福岡を設立したのもその志があったはずだ。

 後藤氏の初当選は2013年4月。第2次安倍政権発足間もない時期にあたる。17年は無投票で再選、21年初めて選挙となり、前市議会議長を破り、現在、3期目である。

 後藤氏も順風満帆ではなく、22年10月、前年の市長選で告示前に投票を呼びかける名刺やはがきを有権者に配布したとして、福岡県警は公職選挙法違反(事前運動など)の疑いで、福岡地検小倉支部に書類送検している。驚くべきことだが、忠氏と法令違反の中身まで似ている。

 しかし、忠氏と後藤氏は明暗が分かれた。

 それはやはり、世襲ではないだろうか。先述のように、行政改革や教育改革を訴えて国政選挙にも挑戦した忠氏の政治姿勢と矛盾していると受け止めた有権者や支援者は少なくなかっただろう。逮捕され手錠をかけられた忠氏の姿を見るに忍びなかった。そう思った同氏に所縁ある人々は誰もがそう思ったに違いない。

【近藤 将勝】

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