2024年05月02日( 木 )

日本の食料安全保障とフードテックの可能性(後)

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東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 鈴木 宣弘 氏

 命や環境を顧みないグローバル企業の目先の自己利益追求が世界の食料・農業危機につながったが、その解決策として提示されているフードテックが、環境への配慮を隠れ蓑に、さらに命や環境を蝕んで、次の企業利益追求に邁進していないか。これで日本と世界の農と食と市民の命は守れるのかを検証する。

フードテックは解決策か

イメージ    グローバル種子農薬企業やIT大手企業が計画しているもう1つの農業モデルは、今いる農家が廃業したら、ドローンとセンサーを張りめぐらせて自動制御して、儲かる無人農業モデルをつくって投資家に売るのだという見方もある。実際、ビル・ゲイツ氏は米国の農場を買い占めて、米国一の農場主になっている。22年の世界食料サミットでこういう農業を広めていくためのキックオフにしようとしたという事実もあり、絵空事ではない。

 彼らは次の儲けのために、通常の農業の代わりにこのような無人農場を考えているのか、というと、陰謀論だという人がいる。しかし、日本が国策として推進するとしているフードテックの中身を見ると愕然とする。

 その論理は、温室効果ガスの排出を減らすためのカーボンニュートラルの目標を達成する必要があるが、今の農業・食料産業が最大の排出源(約3割)なので、遺伝子操作技術なども駆使した代替的食料生産が必要である。それは、人工肉、培養肉、昆虫食、陸上養殖、植物工場、無人農場(AIが搭載された機械で無人でできる農場経営)などと例示されている。温室効果ガス排出の多さから各たんぱく質を評価すると、最も多い牛に比べて豚は約3分の1、鶏は約5分の1、昆虫食では鶏よりもさらに少量だとの解説もある。

 今の農業・畜産の経営方式が温室効果ガスを排出しやすいというのであれば、まず、環境に優しく、自然の摂理に従った生産方法を取り入れていくことを目標とするというならわかるが、それをすっ飛ばして、さらに問題を悪化させるようなコオロギや無人農場に話をつなげているところの誤謬に気づく必要がある。

 日本はフードテック投資が世界に大幅な遅れをとっているので、国を挙げた取り組みの必要性が力説されている。「今だけ、金だけ、自分だけ」の企業の次のビジネスの視点だけで、地域コミュニティも伝統文化も崩壊、食の安全性も食料安全保障もないがしろになる。陰謀論だという人がいるが、フードテックの解説にはその通り書いてある。陰謀論でなく、陰謀そのものなのである。

 こんなことを続けたら、IT大手企業らが構想しているような無人の巨大なデジタル農業がポツリと残ったとしても、日本も世界も多くの農漁村地域が原野に戻り、地域社会と文化も消え、食料自給率はさらに低下し、不測の事態には、超過密化した東京などの拠点都市で、餓死者が出て疫病が蔓延するような歪な国になることは必定である。

 命や環境を顧みないグローバル企業の目先の自己利益追求が世界の食料・農業危機につながったが、その解決策として提示されているフードテックが、環境への配慮を隠れ蓑として、さらに命や環境を蝕んで、企業のさらなる利益追求に邁進していないか。これで日本と世界の農と食と市民の命は守れるのだろうか。

自然への敬意を取り戻す

 人間は自然を操作し、変えようとしてきた。その「しっぺ返し」がきているときに、さらに不自然な技術の追求が解決策になるだろうか。水と土と空気、環境が健全であれば、植物や動物の能力が最大限に発揮され、すべてが健康に持続できる。

 それを化学肥料などで短期的に儲けを増やそうとすれば、土壌微生物との共生が破壊され、人間にとっての栄養も足りなくなる。土壌に暮らす微生物が、食べ物とともに腸内に移住したものが腸内細菌の起源である。土壌微生物のおかげで、人間の健康も保たれる。植物工場が根本的に無理があるのも、土との関係が絶たれることで、人間に必要なミネラルなどの微量栄養素が野菜に含まれなくなることが大きい。

 自然の摂理を大切にし、生態系の力を最大限に発揮できるように、基本に帰ることが、今こそ求められている。本当に持続できるのは、人にも生き物にも環境にも優しい無理しない農業、自然の摂理に最大限に従い生態系の力を最大限に活用する農業(アグロエコロジー)ではないだろうか。経営効率が低いかのようにいわれるのは間違いだ。最大の能力は酷使でなく優しさが引き出す。人、生きもの、環境・生態系に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高いのである。

(了)


<プロフィール>
鈴木 宣弘
(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授、専門は農業経済学。1958年生まれ。東大農学部卒業後、農林水産省に入省。2006年から現職。三重県志摩市の半農半漁の家の1人息子として生まれ、田植え、稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、うなぎのシラス獲りなどを手伝い育つ。安全な食料を生産し、流通し、消費する人たちが支え合い、子や孫の健康で豊かな未来を守ることを目指している。近著に『このままでは飢える!』(筑波書房ブックレット)、ほか『世界で最初に飢えるのは日本──食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書)、『農業消滅──農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社新書)、『食の戦争──米国の罠に落ちる日本』(文春新書)など著書多数。

(中)

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