2024年04月30日( 火 )

【加藤縄文道5】古代のシャーマニズムから見た縄文人の屈葬

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縄文アイヌ研究会主宰
澤田 健一 氏

 NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載しているが、同代表理事の加藤春一氏より、縄文アイヌ研究会主宰者の澤田健一氏による、縄文人の屈葬と古代のシャーマニズムに関する論考を共有していただいたので、掲載する。

 屈葬とは手足を折り曲げた姿勢で埋葬する方法であり、縄文人は屈葬されている。その理由はシャーマンを通して理解することができる。改めて解説するがシャーマニズムは日本民族発祥の信仰なのである。

 シャーマニズム信仰では死んですぐの霊は悪事をはたらく、あるいは襲ってくると考えられていて、それを防ぐためにさまざまな手段がとられる。

 ミルチア・エリアーデ著、堀一郎訳『シャーマニズム 上』(筑摩書房)では世界中のシャーマンの死者に対する考え方や対処方法が記述されている。
それを同著の346頁から347頁にかけての記述から見てみる。

「ゴルディ人は火葬のあとで死者に別れを告げるとき、妻や子供は連れて行かぬようにと頼む。」
「黄ウィグル人は死者に向かって『お前の子供や家畜を連れて行くな。お前の身のまわりの物も持って行くな』と言う。」
「もし死者の未亡人や子供、あるいは友人が後を追うように死ぬと、テレウート人は死者がその人たちの魂を持って行ってしまったのだと信ずる。」
「死者は非常に畏れられ、生きている人間の間に現れることのないように、あらゆる種類の予防措置がとられる」
「死んで間もない死者は畏れられ、死んでかなり時間の経っている死者は崇敬され、守護者としての機能を果たすことが要求される」
「葬儀を行なった人々は墓地から帰るのに来たときとは違う道を通り、死者に道を分からせないようにする。」
「墓地から村への道は何日か夜も見張りが立たされ、火がたかれる。」

 シャーマニズム信仰を生み出した日本民族は、死んで直ぐの死霊のたたりを畏れたのだ。あそのために、死者の身動きを封じるために手足を折り曲げて埋葬したのである。

 その畏れは縄文習俗を強く残すアイヌに近代まで伝わって残されていた。
 それも見ておく。

ニール・ゴードン・マンロー著、小松哲郎訳『アイヌの信仰とその儀式』(国書刊行会)200頁下段
「墓地から戻る途中、参列者たちは清め草の束で自分たちの身体から悪霊たちを払い落として清めます。」

久保寺逸彦著『北海道アイヌの葬制―沙流アイヌを中心として―』(民俗学研究)20/3-4、158頁左段
「墓地では、死霊が後を追うことを恐れてか、何も死者には言わず、慟哭の声も挙げずに、帰るのだと言う。」
・同163頁右段
「アイヌの死霊に対する恐怖感の著しい現われがある。」
・同196頁右段
「葬式は、死者に対して生者との絶縁を宣する意味も強い。」
・同197頁右段
「野辺送りから帰って喪家に入る時、或いはその翌日、更に一定期間の喪が明けた時に、この穢れを祓い清め、魔神を逐う修祓の儀礼が行なわれる」

このようにシャーマニズムでは国ごとに、アイヌでは地域ごとに対象方法は様々であるが、その根底にある「死霊に対する著しい恐怖感」は共通しているのである。

 縄文人は死者が襲ってこないように手足を折り曲げて身動きできないようにしていたのだ。ときには屈葬するだけでなく、紐でぐるぐる巻きにしてさらに自由が利かないようにしたり、重たい石を乗せて身動きを完全に封じ込めようとしたりしていた。

 それでは、屈葬が始まったのはいつからなのだろうか……実は12~8万年前のイスラエルにおいて、すでに屈葬が確認されているのだ。

小野林太郎著『海の人類史 東南アジア・オセアニア海域の考古学―(雄山閣)
49頁
「興味深いことに埋葬人骨のうち、成人男性のスフール4号は屈葬で埋葬され、手と手の間にはフリント製の搔器(注:皮をなめす石器)も発見された。」
「スフール5号はイノシシの下顎骨を両腕で抱いた状態で埋葬されていた上、海産貝類となるムシロガイ科の貝殻に孔をあけた貝製ビーズが2点副葬されていた。」

 これは非常に重要な発見である。屈葬が縄文人の埋葬方法であることは述べた。そして、イノシシ祀りは縄文時代の日本列島全土で行われていた。しかも、北海道や伊豆諸島などのイノシシが生息しない地域においても行っていたほど重要な神事であるのだ。さらに海産貝類を用いた貝製ビーズの副葬も縄文人の葬送儀礼である。

 つまり、屈葬、イノシシ信仰、貝製ビーズの副葬という縄文信仰が、12~8万年前のイスラエルで、もうすでに誕生していたことが見て取れるのである。

 そしてはるか後世の世界各地で新石器時代が始まると、そこから屈葬された人骨が出てくる。

 つまり、屈葬という特殊な埋葬を行う日本民族が世界の新石器時代を興した、といえるかもしれないのだ。

 ただし、これだけで結論を出すのはさすがに乱暴なので、可能性の提示としておく。

補足説明
・フリント製石器が出てきたが、打製石器の約6割がフリント製で、残りは黒曜石である。
・ホモ・サピエンスは日本列島に上陸した3万8000年前から黒曜石を利用し始める。
・日本列島には良質な黒曜石の産出地が、列島各地に広がっているのである。なお、太古のシベリアや朝鮮半島においても日本産の黒曜石が使用されていた。

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