悔しい忍田氏の死~三菱電機住環境システムズに寿命を縮められた
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発端は2022年10月21日
まず読者に告知する。こちらの記事(【訃報】カンサイ会長、福商前副会頭の忍田勉氏が逝去)を参照していただきたい。(株)カンサイのグループ統括者・忍田勉氏が逝去された(76歳)。確かにこの4年、故人が癌との闘いを続けていたことは事実である。しかし、「寿命を縮められ、抹殺」された最大の責任は三菱電機住環境システムズ(株)にある。
話は2年前に遡る。三菱電機住環境システムズの取引先「菱材会」(九州地区)のイベントが静岡県掛川市で行われた。まず昼間に掛川市にある三菱電機照明(株)の工場視察を行った。
問題は夜の部で発生した。当日は「つま恋リゾート彩の郷」に宿泊。夕食後、灘氏の部屋で二次会を催すことになった。灘氏は当時、カンサイの社長であり、忍田会長が最も信頼していた「トップ幹部」であった。夕食時に同じテーブルだったメンバーに声を掛け、2次会には三菱電機住環境システムズ支店長・福沢氏と同社の課長および女性社員(菱材会事務局担当者)と取引業者1名の計5名が参加した。
問題になったのは、宴会で気分が良くなっていた灘氏の発言が、出席した女性社員から「パワハラされた」と受け止められたことにある。女性社員は帰宅後、実父に「宴席で酔っぱらったおじさんから言われた言葉で不愉快になってしまった」と訴えたのだという。これに激怒した実父は、三菱電機住環境システムズの本社に再々抗議を行ったが、無視され続けたため、方針を変えて親会社・三菱電機本社に直訴した。
若い女性を同席させた判断が最悪
確かに女性社員が気分を害するに至った原因の1つとして灘氏の“放言”がある。同氏の知人のなかには灘氏は「酒癖が悪い」と指摘する者もいる。しかし、最悪の事態を招くことになった責任は福沢支店長にあるだろう。
灘氏は日頃から女性社員との接し方が無頓着だったのであろうか?考えられない。灘氏本人も語っていた。「私の自宅近くに住む女性社員をたまに送っていったこともある。だが、社長になってからは『バスで帰ってくれ』というほど神経を使うようになった」と。
親会社が陣頭指揮して調査
女性の実父からの抗議を正面から受け止めきれなかった三菱電機住環境システムズ本社は、まったく無責任極まりない。九州支社も同様に門前払いで逃げようとする。当社記者が訪問・10回を超える電話取材を繰り返したが、なしのつぶて。「折り返し電話します」というだけで返事がない。
さて、親会社の調査は年末まで続いたものとみられる。その後は結末・幕引きをめぐる交渉である。故人と三菱電機調査本部との駆け引きがあったのであろう。
故人は「なぜ、こちらが灘に社長辞任という責任を取らせなければならないのか!そちらが軽率に女性社員を同行させたことが主な原因ではないか」と反撃した時期もあったと聞く。忍田氏は喧嘩なら「天下一品」だったが、心痛が病気の悪化を加速させた。
この件を取材して1つの疑問を抱いていた。事件というかトラブルの発生が2022年11月なのに「どうして灘氏の社長降格処分が4カ月後の23年3月に決まったのか?」という点だ。
三菱電機本部の調査結果を踏まえ、本部と忍田氏との間で、幕引きをめぐってどのような議論がなされたのだろうか。議論が長引いたため、幕引きに時間がかかったのだろうか。そう考えると23年3月に灘氏の処分=カンサイ社長の辞任が決定したという時間経過の意味がよくわかる。
故人と筆者は少なくとも1カ月に1回、ある会議で顔を合わせることになっていた。故人がこの会に出席しなくなったのは23年3月からであった。故人は17年に灘氏を社長に抜擢して以来、カンサイの運営に関しては、すべてを託していた。そして「灘社長を退任させたならば、どういう方策で会社運営が可能か?」という自問自答を繰り返す過程で、精神的に疲労困憊してしまった。その間隙を縫うかのように、癌の病魔が進行していったのである。
最後に忍田氏の顔を見たのは7月26日の「共創展 カンサイフェア」の時である。仕入れ先・三菱電機住環境システムズの「いい加減さ」で故人・忍田氏の寿命が“圧殺”されたといえる「暗く嫌な事件」だった。
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