出版界の構造疲労、問われる雇用倫理と生き残るメディアの条件(前)

『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏

 紙媒体が危ない!以前からいわれてきたことではあるが、それが現実となり、新聞が、雑誌が“絶滅”するのに残された時間は少ない。紙メディアはどうしたら生き残れるのだろうか。

小学館、光文社のフリーランス法違反問題

 信じられないことが起きた。

 出版社大手の小学館と光文社が、フリーランスのライターや写真家に仕事を依頼する際、取引条件を明示せず、しかも、期日がきても報酬を支払わなかったとして、公正取引委員会が6月17日、両社にフリーランス法違反と認定し、再発防止を求める勧告を出したのだ。

 公取委の発表によると、小学館は昨年12月1~31日、月刊誌や週刊誌の制作でライター、写真家、イラストレーター、ヘアメイクなどのフリーランス191人に業務委託をする際、報酬の支払期日といった取引条件を明示しなかった。また、報酬を法定の期日内に支払っていなかったという。

 光文社は昨年11月1日から今年2月27日、フリーランス31人との取引で同様の違反をしていた。

出版社への勧告と法の趣旨

イメージ    フリーランスは企業などに雇用されず、1人で仕事を受注する働き方。内閣官房の2020年の調査では国内に推計462万人いる。フリーランス法はフリーランスの保護を目的とし、昨年11月に施行された。
 同法では、業務の発注前に業務内容、報酬の額や支払期日などを書面やメールで明示することが発注者に義務付けられている。両社では、違反のあった取引の半数以上が口頭のみでの委託で、報酬額を明示していない事例もあったという。

「報酬の支払期日は原則、成果物を受け取る日から『60日以内のなるべく早い日』に設定することが義務づけられ、未設定の場合は成果物を受け取った日が期日となる。両社は期日を設定しておらず、成果物を受け取ってからも報酬を支払っていなかった。光文社には、期日から約90日遅れた違反もあった」(朝日新聞Digital 6月18日午前5時00分)

現場の慣習と記者たちの生態

 出版社というのは、自社の社員だけで雑誌や単行本を出せるのではなく、多くのフリーランスの記者たちの力を借りて成り立っているのだ。

 たしかに、私の現役時代は、記者はもちろんのこと、高名な作家に原稿を依頼する際にも、「原稿料はいくらいくらです」というのは恥ずかしいことだと、先輩から教えられていた。

 作家の方も私が知る限り、原稿料を聞いてきたことはなかったと思う。

 週刊現代の記者たちは「データマン」といわれ、ペラ(200字原稿用紙)1枚いくらという「出来高制」だった。もちろん専属という制度もなければ、契約書など交わすということなど考えたこともなかった。

 延べ人数は100人近くいたのだろうが、1カ月はおろか半年、1年も顔を出さない記者もいたし、昼間は記者をして、夜になると新宿・歌舞伎町のクラブで黒服をしているのもいた。

 夜、ゴールデン街などで呑んで、歌舞伎町をうろうろしていると、「元木、寄っていってくれ。安くしとくからさ」と声を掛けてきた。

 なかには、その頃はやっていた「LSD」の売人をしているのがいて、押し売りされた。
 「元木、飲むと飛びたくなるから地下の部屋で使えよ」と忠告してくれたが、何錠飲んでも飛びたくはならなかった。偽物だったようだ。

 いくら稼げるかは、ペラ原稿を何枚書くかで決まるから、そのため取材にも行かず、新聞やほかの雑誌記事を丸写しし、“馬に食わせる”ほど大量のデータ原稿を書く記者も多くいた。

 1970年代前半、私の給料は4~5万円くらいだったと思うが、週に10万円ほど稼ぐ記者がいくらでもいた。

 だが、週刊現代の記者たちが中心になり、他社の週刊誌の記者たちと手を組んで、待遇改善や契約書締結をもとめて「記者会」がつくられた。毎年、たしか4月だったと記憶しているが、編集長と記者会の話し合いがもたれるようになった。

 これも記憶がもうろうとしているのだが、ペラ1枚が80円で始まり、年に10円ずつアップしていった。

 だが、契約を編集部と記者会が締結するのは、だいぶ後になったのではなかったか。それでも、締結すれば、記者でも仕事のなかで事故に遭ったり、ケガをした場合は、入院費や治療費を編集部(講談社)が補償するようになった。当然のことだったが、他の業種に比べて遅かったことは間違いない。

待遇改善の試みと遅すぎた契約文化

 私は90年にFRIDAYの編集長になった。そのころは「バイク部隊」というのがあった。芸能人の浮気や不倫を、バイクでリレーして追いかけるフリーの人間たちである。だが、彼らが事故を起こしても何の保障もなかった。

 私は、それはまずいと思い、彼らと契約を結び、万が一のときに治療費などを出すように改めた。そんな時代だった。

 その後、私が週刊現代の編集長時代に、単行本を出す際は、著者と契約書を交わすということが明文化されたのではなかったか。

 それほど権利というものを蔑ろにしてきたのが出版文化の実態であった。

 だが、私が出版社を退社して20年近くが経とうというのに、フリーの記者たちと契約も結ばず、いつ払うかも明らかにしていなかったというのは、いくらなんでも酷すぎないか。

大手出版社の責任とメディア業界の停滞

 出版社というのは、光文社を子会社にする講談社グループと、集英社・小学館グループが君臨しているのである。

 出版界全体がこの2つのグループの“意向”で動いてきた。出版界の改革が遅れたのも、この2つのグループが出版界全体の将来を見据えて動かなかったから、といってもいいのではないかと思っている。

 ほかの出版社は、たとえ文春であっても、この2つのグループの不祥事はよほどのことがない限り書かない。朝日新聞の出しているAERAでも、毎日新聞の出しているサンデー毎日でも、このあきれ果てた「事件」を後追いはしていない。

 こうした出版界の馴れ合い体質が、97年に約1兆6,000億円あった販売額が、わずか四半世紀の2022年には5,000億円を割るまでに落ちた主たる要因の1つである。

(つづく)


<プロフィール>
元木昌彦
(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。

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