労働意欲のない日本の明日は暗闇~「安い、安い日本へ行こう」ラッシュ

 先週末に上京した。銀座三越百貨店前の大通りでは、夏祭りのイベントが盛大に行われていた。目算で観客の60%がインバウンドだった。その日、筆者は700室規模のホテルに宿泊した。朝方、朝食をとる人々を観察したところ、70%が外国人客と見受けられた。地下鉄のなかでも外国人観光客が目立つ。「円安の日本に行けば金持ち気分になれる」と語り合いながら押し寄せているという。

 歴史を振りかえると20年前と現在は、たとえば円/ウォンのレートはおおよそ1/10で大きくは変わらない。そして日本の消費者物価指数はこの3年でやや上がったものの、それまではほとんど変わっていない。ところが、韓国の消費者物価指数は、この20年で2倍近くになっている。かつては1,000円札が1万ウォンに交換され、日本人は韓国でリッチな気分を味わったものだった。だから日本人は大挙して海外へ出かけていた。今やそれが逆転し、インバウンド客が大挙して日本へ押し寄せている。

今と同じ1ドル=145円でも当時は優雅な生活

 友人の次郎助氏(仮名)宅を訪ねた。彼は15年前、小田急線沿いに戸建を建てた。新宿から11駅である。普通電車で20分、駅から徒歩10分、合わせて30分で新宿から辿り着ける距離だ。彼はある帝国大学の法学部を卒業して都市銀行に入行した。7年後、ロンドン支店に転勤した。同氏のイギリス滞在中、筆者は2回ロンドンに彼を訪問した。

 最初が1990年の新年である。ロンドン三越がオープンして11年目だった。日本からOLたちがブランドバッグを買い漁りに押し寄せていた。当時の為替相場は1ドル=145円。今と大して変わらないが、それでもOLたちが大挙して押し寄せていたのである。かれこれ35年前のことになる。

 次郎助氏が回顧する。「いやぁ、円ドルが今と同じレートでも、当時はロンドンで優雅な暮らしができたのですよ。国内の同僚たちが羨ましがっていたのを覚えています」と。

 遠い昔の話である。昨今は「1ドル=145円まで円が安くなって国力が弱まった」と言われているが、当時は同じレートでも購買力ははるかに大きかったのである。

インパクトローンとは何ぞや?

 次郎助氏はよく働いていた。ここで初めてインパクトローンという金融用語を知った。同氏の銀行は国家プロジェクトの共同融資にかかわっていた。当時、ハンガリーに共同融資を行っていたというので、その顛末を聞いた。「ハンガリーは人口1,000万人足らずの国でしたが、借入を有効に活用して産業を興し、それなりの経済発展をしましたよ。こういう好結果がでれば、バンカーとして充実した日々を送れます。当時は月の半分がロンドンで、残りの時間はヨーロッパを飛び回っていました。『よくこんなに働いているなぁ』と自分を褒めていたものです。ロンドンでの努力の蓄積が、今日までの現役続行につながっているのでしょう」と語る。

 帰国後、8年してスイスのトップ銀行に就職。スキルを磨き、営業成績を上げ、日本人としてトップのポストに就いた。現在は地方銀行のコンサル会社に籍を置き、現役で辣腕を振るっている。現在も毎日のように地方銀行の担当者から相談が舞い込むという。

日本の労働法は悪法なり

 海外で研鑽を積んできたバンカー・次郎助氏は日本の現状を悲観している。「ヨーロッパの場合、二極化している。年収400~500万円のグループは生活第一主義に満足して質素な生活を堪能しています。一方、年収2,000~3,000万円の方々は1年中よく働いています。仕事の虫、稼ぎに執着する人もいます」と説明する。要するに、二層化が明確な社会なのである。

 ここからが本題である。次郎助氏いわく、「日本政府はあまりにも画一的な社会を維持しようとし過ぎています。一般の労働者には生活権を守ってやる制度の充実が必要です。他方、仕事の虫、稼ぐことに執着する層には、それに見合う労働法を発動すべきです。今の画一的な仕組みでは、日本人は労働意欲=稼ぐ意欲を失くしてしまいます」と激怒する。

 いかにも、どこの企業が、何の変哲もない社員たちに年収1,000万円を払うだろうか。年収1,000万円、2,000万円稼ぐ層は、他人さまの2~3倍、いや5倍は動き廻っている現実がある。次郎助氏の結びの言葉は、すなわち「現状では日本は必ず三級国家に転落する」というものだった。

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