一帯一路日本研究センター
研究員 青山英明
日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS、中川十郎理事長)より、青山英明氏の記事を提供していただいたので掲載する。
三章:ヘッジング戦略こそが国民を豊かにする良策である
これに対し、本稿で再提起したい「ヘッジング戦略」は、現代の相互依存の泥沼を生き抜くための、より洗練されたリアリズムに基づいている。これは、二大国のどちらにも完全には与せず、戦略的な「曖昧さ」を残すことで、双方から最大の経済的利益を引き出しつつ、安全保障上のリスクを分散させる生存戦略である。
この戦略には、国際政治学における「4つの構成要素」がある。
第一に「拘束(Binding)」である。米中双方を日本の経済枠組みや市場に深くバインドさせ、彼らが日本を無視したり攻撃したりすれば、自国の経済も破綻するという状況をつくり出す。
第二に「緩衝(Buffering)」である。特定の国への過度な依存を避け、第三国や地域共同体との連携を強めて、大国からのショックを和らげる。
第三に「均衡(Balancing)」である。軍事的には米国とつながりつつ、経済では中国を使い、パワーのバランスを保つ。
そして第四に「強化(Boosting)」である。双方から投資や技術を呼び込み、国力そのものを底上げすることである。
「保守本流」を自認する強硬派の「選択的愛国」が「断絶」による孤立とコスト増を招くのに対し、真のヘッジングは「経済力を盾」に、国権を行使する。リベラリズム経済学の視点では、「貿易の機会費用(Opportunity Cost)」こそが最大の抑止力となる。中国が日本を攻撃するコストを、軍事的なものだけでなく「自国の経済崩壊」というかたちにまで高めることこそが、天文学的な防衛費を増税で賄うよりもはるかに効率的で、国民を豊かに保ったまま主権を守る「良策」である。
また、本稿の視点は「不経済」を避けようとする融和策に見えるとすれば、すでにマス・メディアによる固定観念の植え付けが成功してしまっていると言わざるを得ない。それは大きな誤解である。むしろ、経済力という基盤がなければ、そもそも安全保障など成立しないという実務に即した認識に基づいている。「国あっての国民」という言葉を真に解釈するならば、国家という枠組みを守る目的は、国民の生命と財産を維持・拡大することにあるはずであろう。経済を破壊して国家の形骸だけを守ろうとする「保守本流」を自認する強硬派路線は、本末転倒な「敗北主義的リアリズム」の裏返しに過ぎない。
しかし、地政学が経済を支配する「ジオエコノミクス」の現代、この戦略を「1周回って時代遅れな平常時の理論」と嘲笑する声は根強い。
否定論者が指摘するのは、第一に「有事における無効性」である。米中対立が準戦時へと移行するなかで、経済的相互依存は戦争を防げず、曖昧な態度は真っ先に切り捨てられるという主張だ。だが、この批判は戦争「勃発後」の局面と、戦争を「抑止」する局面を混同している。抑止において重要なのは単なる依存の有無ではなく、その「非対称性」である。ロシア・ウクライナ戦争において抑止が機能しなかったのは、欧州側に代替供給源が存在したからに過ぎない。ここで直視すべきは、日米中の研究開発(R&D)投資の圧倒的格差である。米中両国のR&D投資が年間100兆円規模に達するのに対し、日本は約28兆円にとどまる(研究開発投資の効率性 ~都道府県間・主要国間における比較~ | 一般財団法人 日本経済研究所)。この4~5倍の物量差から相手の土俵で正面から最新技術の覇権を競うのは現実的ではない。筆者がいう「不経済」は感情論ではなく、資源配分の合理的選択に基づくことをご理解いただけるだろう。
日本が真に勝負すべきは「最新」ではなく「不可欠性(Strategic Indispensability)」である。ディスコ、レーザーテック、信越化学工業といった、世界シェアの過半を握る「チョークポイント企業」をディフェンス戦略の中核に据えるべきではないだろうか。これらは札束で殴り合っても一朝一夕には手に入らない技術継承の「時間軸」に守られた「ブラックボックス」である。相手が日本を切り捨てれば自国経済も重大な悪影響を受けるという相互破壊的な依存構造を構築することこそが、抑止力になり得るように思えてならない。
ヘッジングとは、有事に生き残るための策ではなく、相手に「戦争という選択肢」を捨てさせるための構造設計である。
第二の反論は、米国からの「パージ(排除)」のリスクである。米国は同盟国に「踏み絵」を迫るため、中国との実益を追う姿勢はサプライチェーンからの排除を招く見方がある。しかし、米国が重視するのは情緒的な「忠誠心」ではなく、徹底した「利益」に基づくリアリズムである。サウジアラビアやインド、トルコといった諸国が示す通り、米国に従属せずとも、代替不能な価値(技術、市場、地政学的地位etc.)を保持する限り、米国は完全な排除など行えない。むしろ、最初から「従います」と宣言する「デカップリングの急先鋒」こそ、交渉カードをすべて失い、米中が妥協した際に最も容易に「梯子を外される」消耗品となるリスクを負うのである。大国の急所に日本の技術と市場を不可欠な要素として深く浸透させ、相手が日本を切り捨てれば自らも崩壊せざるを得ない「不可分の構造」を構築する。外部環境の激変に翻弄されることなく、したたかに両大国の利益をからめとり、国民を豊かに保ちながら主権の基盤を固めるヘッジングこそが、真の国益に至る活路ではないだろうか。
日本がこの「ヘッジング」を完遂するためには、シンガポールやASEAN諸国がもっている「拒否権としての主権」が必要である。彼らが大国に飲み込まれないのは、自国の空を自ら握り、基地の運用権を自国で管理しているからである。日本の「真の愛国者」と自任する方々は、まずはいかに国民1人ひとりの経済力を底上げし、その富を背景に「横田空域の買い取り」のような、実務的な主権回復を米国に迫るべきではないだろうか。対中強硬を叫んで米国に媚びを売るのではなく、米国に対しても「日本の空を返せ、さもなくばヘッジングの比重を変える」といえるだけの経済的・政治的レバレッジをもつことこそが、真の愛国者の仕事であろう。
四章:民主主義国家における「全体主義的なふるまい」
「保守本流」を自認する強硬派路線に代表される「選択的愛国」思潮の危うさは、その手法が民主主義的なプロセスを形骸化させ、全体主義的な色彩を帯びている点にもある。国家が特定の産業を名指しして「この国との取引は安全保障上のリスクがあるからやめろ」と命じる「経済安全保障」の拡大解釈は、私有財産権や営業の自由を基礎とする民主主義国家の根幹を揺るがす。
もちろん、機微な軍事技術の流出を防ぐことは必要である。しかし、それを「愛国か非国民か」という二元論に持ち込み、経済的な合理性をすべて排除しようとする姿勢は、かつての戦時経済体制を彷彿とさせる。このような「選択的愛国」は、特定の政治層からの支持を得るためのパフォーマンスとしては有効かもしれないが、国家全体の持続可能性という観点からは、極めて短絡的である。
これに対し、「主権や尊厳は経済効率で測れない」という道徳的反論がなされることもある。しかし、主権を観念化し、経済を壊して「尊厳だけを残す」ことを選んだ国家は、歴史的に侵略や内乱、崩壊のいずれかをたどってきた。真の保守主義とは、急激な変革や破壊を避け、長い年月をかけて築き上げられた国民の生活基盤や伝統を守ることにある。現代日本において守るべき「基盤」とは、世界最高水準のサプライチェーンと、それを支える相互依存のネットワークである。これを自ら断ち切る「デカップリング」は、保守どころか「過激な革命」に近い。
外部環境の変化、とりわけトランプ関税のような予測不可能な圧力に対し、正面から「正義の衝突」を挑むのは愚策である。荒波のなかで船を沈めないためには、巧みな舵取り(=ヘッジング)が必要であり、波を真っ向から受けて砕け散ることは「挺身」でも「愛国」でもなく、単なる「操船ミス」である。
結びに
2025年以降の日本が進むべき道は明確である。それは、いわゆる「保守本流を自認する愛国者」お歴々のような「選択的愛国」による自国経済の破壊でも、ましてや無防備な対中屈従でもない。経済安全保障を「守りの盾」として使いつつ、経済的相互依存を「攻めのくさび」として利用する、したたかなヘッジング戦略である。
トランプ政権の関税政策を、日本がサプライチェーンを再構築し、アジアにおける「ハブ」としての地位を確立するための好機と捉えられるのではないだろうか。米国には同盟の重要性を経済的コストとして突きつけ、中国には日本を失うことが中国経済への具体的な悪影響を列挙する。この両極の間で絶妙なバランスを保ち、実益を吸い上げ続けることこそが、国民1人ひとりの懐を豊かにし、その豊かさこそが、他国に依存しない「真の軍事力」と「真の主権」を支える土台となる。
「デカップリングの急先鋒」となり、民主主義国家にあって全体主義的な行動を強いる「選択的愛国」は、歴史の荒波を乗り越える力をもたない。それは保守的な愛国者ではなく、国民に「不経済」という名の犠牲を強いる短絡的な徒党に過ぎない。
日本の為政者が求めるべきは、国家の尊厳という抽象的な概念のために国民が飢えることではなく、国民が豊かであることによって国家が揺るぎない尊厳をもつことである。ヘッジングという戦略的英知こそが、この相互依存の泥沼という時代における、日本国民を豊かにする良策であり、真のナショナリズムではないだろうか。
(了)
<プロフィール>
青山英明(あおやま・ひであき)
一帯一路日本研究センター研究員、南京大学博士課程在学中。南京大学「一帯一路」研究院首席専門家・于文傑に師事し、地政学的ロジックを一次史料に基づく解析で、海のシルクロードと「一帯一路」構想の構造的共通項が、現代の意思決定に与える示唆を研究テーマとする。
実務面では、2007年より香港、蘇州、上海、北京の主要4都市に12年間駐在。証券・PEファンドの立場から、中国経済の変遷と資本論理を現場レベルで一貫して経験した。現在、北京語言大学の非常勤講師として「日中間のビジネス事情」を担当。同時に、中国企業の日本パートナーとして隔月での現地往来を継続しており、企業のハンズオン支援やスタートアップ投資を通じて、現地の最新の意思決定プロセスに直接関与している。








