千鳥屋の歩みは、単なる一軒の老舗による拡大の軌跡ではない。原田一族は飯塚を軸に、福岡、東京、大阪・兵庫へとそれぞれの道を歩み、やがて「4つの千鳥屋」と呼ばれる姿になった。同じ暖簾の下にありながら、進む方向は少しずつ異なり、その広がりは栄光であると同時に、分裂と葛藤の歴史でもあった。
大阪・兵庫系の千鳥屋宗家は、そうしたなかでも独自に営業を続けている。現在の本店は大阪市中央区、本社は兵庫県西宮市に置かれ、菓子製造・販売を手がけている。26年の飯塚系の民事再生法の適用申請では、この千鳥屋宗家が支援側に回り、営業継続を支える役割をはたすと報じられた。かつて同じ家業から枝分かれした一系統が、別の一系統の再建を支える──この構図もまた、千鳥屋の複雑さを物語っている。
東京系については、16年に民事再生法の適用を申請したことで注目を集めた。4つの千鳥屋のうち、東京系が早い段階で再生局面に入っていたことは、老舗ブランドの維持がいかに難しいかを示している。申請後、GLIONがスポンサーとして事業を引き取って再建を担ったが、最終的には千鳥屋宗家へ統合され、法人としての千鳥屋総本家は23年に消滅している。
老舗ブランドの現在地
こうして見ていくと、千鳥屋の歴史は「老舗ブランドの栄光と分裂」の両面を併せもつ。佐賀の松月堂に始まり、飯塚で発展し、福岡で都市型展開を進め、東京、大阪へと広がった一大ファミリービジネスの成功史であると同時に、暖簾分けの難しさ、同族承継の複雑さ、不動産と商標をめぐる対立が積み重なった歴史でもあった。
26年時点での「4つの千鳥屋」の現在地を整理すれば、福岡系は独立した経営基盤のもとで健在、飯塚系は再建局面、大阪・兵庫系は独自経営を維持しつつ再建支援にも関与、東京系は過去の再生を経て現在像の再確認が必要、ということになる。つまり、千鳥屋はもはや1つの会社ではなく、同じ源流を持つ複数の会社群なのである。
ブランドの強さと危うさ
それでもなお、多くの消費者にとって「千鳥屋」は1つの老舗として記憶されている。このこと自体が、千鳥屋ブランドの強さを示しているともいえる。だが同時に、それが経営実態とのズレを生み、ブランドをめぐる混乱を深めてもきた。千鳥屋の歴史とは、地方の老舗が広域ブランドへ成長した物語であり、同時に、一族経営とブランド共有が抱える難しさを映し出した企業史でもある。
また、客観的に見れば、「中興の祖」とされる原田ツユ氏が千鳥屋の発展に大きく貢献したことは疑いない。一方で、死後を見据えた事業承継や権利関係の整理を十分に制度として整えられなかった結果、後年の分裂や対立の火種を残した人物として評価される側面もある。
千鳥屋の歴史が示しているのは、老舗ブランドの強さだけではない。そのブランドを次代へ安定して引き継ぐためには、創業者や功労者の手腕だけでなく、承継と権利をどう整理するかという制度設計こそが欠かせないという教訓である。
(了)
【内山義之】








