【特別寄稿】食料なき安全保障は国を守れない 日本を追い込む「セルフ兵糧攻め」
東京大学
特任教授・名誉教授 鈴木宣弘 氏
ホルムズ危機は、食料、肥料、飼料、エネルギーを海外に依存する日本の脆弱性を改めて浮き彫りにした。化学肥料の原料や種子、燃料を輸入に頼る以上、公称の食料自給率だけでは国民の命を守れない。にもかかわらず、政府は軍事力やシェルター整備を安全保障の中心に据え、農家支援、増産、備蓄強化には背を向けている。食料を軽視した安全保障は、自国民を飢えさせる「セルフ兵糧攻め」になりかねない。
ホルムズ危機が暴く食料調達の脆弱性
筆者は、20年以上前から食料危機への備えを訴えてきた。今回のホルムズ海峡の封鎖により、海外依存度が極めて高い日本の食料・生産資材の調達リスクは、さらに深刻化した。原油やナフサの供給について、政府は「一部に供給の偏りはあるが、国全体では量は十分足りている。流通に目詰まりがある」と繰り返し、「国に責任はない。民間の問題だ」と責任逃れに終始している。
しかし、国の責任転嫁と無策の下で、農業生産・流通の現場でも、原油・ナフサの供給の滞りにより、農業機械やハウス暖房などの燃料費、輸送費が高騰している。肥料や飼料、ビニール、土を覆うマルチフィルムなど、あらゆる資材も高騰し、受注停止や供給制限も生じている。生産コストの上昇にとどまらず、食料生産そのものが滞る事態にもなりかねない。
肥料についても、我が国は化学肥料原料のリン、カリウムを100%、尿素を96%輸入に依存しており、中国への依存度が最も高かった。ウクライナ紛争時には、中国の輸出抑制で調達が困難になった矢先に、カリを依存していたロシアとベラルーシが「日本は敵国だ」として輸出を止めたため、肥料価格は2倍以上に高騰した。一時、肥料価格はやや下がり、高止まりの状態になっていたが、今度はイラン戦争により、天然ガスを生産に使う窒素肥料について、世界シェアの4割を占める中東の供給不安が高まり、窒素肥料を中心に再び高騰している。中国も再び輸出規制を強化し始めた【図】。
政府は、「日本はマレーシア産への切り替えを進めていたから大丈夫」とでもいうような能天気な認識を示した。しかし、世界シェアの大きい中東の供給が減れば、「玉突き」でアジア産にも影響するに決まっている。アジア産も3月から5割高になり、2020年比で2倍以上に高騰した。高くて買えないどころか、今後の国内農家への肥料供給の見通しも不透明になってきている。
飼料穀物価格も、ウクライナ紛争時に2倍に急騰し、酪農・畜産農家を苦境に陥れたが、やや落ち着いた高止まり状態から、再び、高騰している。日本はトウモロコシや大豆を米国に最も依存しているが、米国でも肥料不足が穀物生産に影響しており、それが日本を直撃することになる。さらに、原油高はその代替品となる穀物のバイオ燃料需要、すなわちコーン・エタノールや大豆由来のバイオディーゼル需要も押し上げ、価格高騰を増幅する。
実質食料自給率は数%か
公称38%の裏にある危機
筆者は、『食の戦争』(文春新書、13年)、『農業消滅』(平凡社新書、21年)に次いで、『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社新書、22年)で、農業・農村と国民の食料危機への備えを訴えた。
『世界で最初に飢えるのは日本』では、米国のラトガース大学が発表した衝撃的な研究論文を紹介した。局地的な核戦争が起きれば、被爆による死者よりも、物流が止まることによる餓死者が世界で3億人近くに上る。その3割が日本人に集中し、日本では人口の6割にあたる7,200万人が餓死する、という内容だ。
筆者は、これでもなお過小評価ではないかと指摘した。日本の食料自給率は38%とされるが、化学肥料の原料はほぼ100%輸入に依存している。90%を海外に依存している野菜の種だけでなく、コメなどの種も同様の流れになりかねない制度改定が進むなか、実質的な食料自給率は最悪9.2%に近づいていると警鐘を鳴らしてきた。
しかし、それさえ甘かった。その試算には、エネルギー自給率が10%少々しかないことを算入していなかったからだ。ホルムズ海峡の封鎖に直面し、エネルギー自給率の低さも勘案しなければならないことは明白になった。それを勘案すれば、日本の食料自給率は実質数%しかないといっても過言ではない。
『世界で最初に飢えるのは日本』に対して「危機を煽るな」との批判もあったが、今や、「予言書」といわれるようになっている。的中してはならないのだが、事態はどんどん悪化しており、国民も危機感を高めつつある。
危機に逆行する「食糧法」改正
そのようななか、農家はさらなるコスト高に直面する一方、米価などは下落し始めている。「あと5年以内に、ここでコメをつくる人はいなくなる。ここは住めなくなってくる」という地域が続出している流れは、今後さらに加速しかねない。
しかし、食品価格が上がれば、30年間所得が減り続けている消費者も苦しい。だからこそ、農家に必要な額と消費者が払える額のギャップを埋める政策が必要だ。農家の所得が確保され、消費者も安く買えて助かり、自給率も上げられる。海外では当たり前の政策だ。
一刻も早く、苦しむ農家を助け、増産し、備蓄も増やし、食料自給率を上げなければ、飢餓のリスクが高まりかねない。しかし、政府はそうした政策はやらないと言っている。今国会での「食糧法」(『主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律』)改正は、それとは真逆に、苦しむ農家を放置し、生産を抑制し、備蓄も減らし、自給率をさらに下げることになりはしないか。
改正の柱の第一は「需要に応じた生産」だ。生産調整の文言はなくすが、国が需給見通しを出し、それに応じた「生産の目安」の達成に個々の農家が努めることを明記した。自治体や農協などによる「再生協議会」を通じた、実質的な生産調整の強化を求めている。
仮に価格が高く維持されすぎれば、その分だけ輸入米に置き換わるだけだ。昨年は米の輸入が95倍にも増えた。結局は農家を追い込み、米の自給率も低下し、輸入が途絶したときには、国民は米さえ食べられなくなる。
第二が、流通実態把握の強化だ。需要に応じた生産を達成するための需給見通しを精緻化する目的で、流通段階におけるコメの量について、対象範囲を広げ、罰則も強化したうえで厳しく報告させる。
そもそも需要・供給を正確に把握しようとしても限界がある。民間業界に余計な負担を増やしてまで注力すべきは、そこではない。自由な生産を促し、需給に余裕をもたせ、消費者は安く買え、農家のコスト割れは補てんすればよいだけだ。
第三が、米の民間備蓄への移行だ。「国の備蓄の放出が手間取ったから民間備蓄を増やす」というのは建前で、本当は国家備蓄に金をかけるのがもったいないという理由で、民間備蓄を増やそうとしている。財政当局は25年11月、民間備蓄にすれば403億円の備蓄費用を16億円に減らせると提言しており、これと符号するかたちだ。そもそも民間備蓄といっても、固定的に取り置くわけではない。「一定量はいざというときに出せる量として認識しておいてください」という話であり、本当にその量を出せる保証はない。しかも、民間業界からすれば、「なぜそんなことを強制されなければならないのか」ということになる。
積極財政と言いながら、農業予算については、相変わらず米国から武器などを買う穴埋めの削減対象としか見ていないのか。財政出動ではなく、「価格を維持したいなら生産を減らせ」というかたちで生産者へのしわ寄せを強め、備蓄も民間に押しつけようとしている。
中国には人口14億人の1.5年分の穀物備蓄があるというが、日本の米備蓄は15日分程度まで減っている。本当に物流が止まったら、日本人は飢えかねない。それなのに、国民の命を守るという視点ではなく、「増産支援や国家備蓄に金をかけるのはもったいない」という考えしかない。増やすべき米生産と備蓄を減らす方向へ動いているのは、まさに逆行だ。
今こそ必要なのは、農家にもっとつくってもらい、備蓄も増やし、国産で輸入を置き換えることだ。そのコストは「もったいない」のではなく、いざというときに命を守る安全保障・国防のコストだ。米国から在庫処分のものを大量に買うのに巨額予算を使うのなら、まず、ここにきちんとお金をかけるべきである。それこそが本当の国防だ。
日本の安全保障議論の偏り
シェルター完備も食料はなし
日本の安全保障議論は、軍事的な側面ばかりに力点が置かれている。政府は3月31日、他国から武力攻撃を受けた際に住民が避難する「シェルター」について、30年までに市区町村単位の人口カバー率100%を目標として確保する基本方針を閣議決定した。「継戦能力」を高め、シェルターも準備し、いざとなれば「攻めていくぞ」と言わんばかりの威勢のよさが目立つ。
しかし、国民の命を守るのは、戦うことだけではない。国民を飢えさせないことだ。まず食べる物がなければ国民は飢える。その事態にどう備えるのかという議論は、ほとんど聞こえてこない。米国によるイラン攻撃と、それにともなうホルムズ海峡封鎖が日本国民に突きつけている危機への認識が欠如していないか。
食料の国家備蓄をさらに減らしながら、シェルターをつくって国民の命が守れるだろうか。シェルターを準備して「攻めていくぞ」と言った途端に、台湾海峡や日本周辺の海が封鎖されたら、食料生産能力は激減する。わずかな食料備蓄で、何カ月間、飢え死にせずにすむかどうかという問題になりかねない。これでは、自国政府自らが国民を飢えさせる「セルフ兵糧攻め」になっていないか。
しかも、苦しむ農家と消費者を放置しながら、政策の重点はフードテックだと言い出した。フードテックは、既存の農家を地球温暖化の犯人と見なし、これからは植物工場、昆虫食、人工肉などに切り替えていく、というものだ。苦しむ農家を放置する方向性と、フードテックを進める方向性は、実に「整合性が取れている」というのが恐ろしい。
「植物工場で食料自給率100%を目指す」という発想でフードテックに予算を増やす方向性は、どう見ても現実離れしている。これでは、一部の企業が儲け、政治にお金が還元されても、農業・農村は崩壊する。食の安全性も食料自給率もさらにないがしろにされ、いざというときに国民は本当に飢え死にしかねない。
種子政策にも広がる食料安保の危機
種子関連の2法案も制定されようとしている。
まず、新品種開発をめぐる新法についてだ。気候変動に対応した品種開発を大義名分としているが、それは、国民の税金や公的資源を投入して種苗企業をさらに儲けさせるという本質を隠すカムフラージュだと考えたほうが良い。実質的には、国の農研機構や県の試験場といった公的機関が、民間企業に協力させられる構図になっている。
民間の種苗企業が新品種を開発するにあたり、公的機関が遺伝的データや施設など、さまざまな資源を提供して協力しなさい、という立てつけだ。そして、そこでできあがった新品種は企業がもっていき、企業の利益のために使われる。
種子法が廃止された後、各自治体では種子条例をつくり、地域の種子の開発を何とか続けていこうとしてきた。しかし現実には、県の試験場に向けられる従来型の育種予算が減り、人も減らされている。この新法によって、種子法廃止後に各地の種子条例で守ろうとしてきた地域の育種事業は、ますます形骸化する。地域に合った品種を守るのではなく、グローバル種子企業が儲けたい方向の品種開発に、公的機関が動員される流れが強まる。
さらに、種苗法の再改定でとくに注目されるのが、育成者権の長期化だ。種で独占的に利益を得られる期間をさらに延ばす内容であり、まさに種の公共性に反する方向だ。農家が種を使える状態を狭め、企業が種ビジネスでより長く儲けられるようにするものだ。
これは、TPP交渉などで問題になった、新薬のデータ保護期間延長によってジェネリック医薬品がつくりにくくなり、患者の命よりも巨大企業の利益を増やす構図と似ている。同じ問題が、種の世界で、日本が率先するかたちで起きている。印鑰智哉氏の調べでわかるように、日本の種の育成者権は世界最長になる【表】。
ここで押さえておくべきなのは、「種を制する者は世界を制する」という構図だ。世界ではグローバル種子企業が買収を重ね、自分たちの種を買わなければ生産できない仕組みをつくろうとしてきた。しかし、世界中の農家・市民が猛反発し、苦しくなってきた。苦しくなるといつもそうだが、「何でもいうことを聞く国があるではないか」となる。日本だ。そして、日本が「ラストリゾート」かのように位置付けられ、日本に要求が来る。
まず、公共の種子事業が邪魔だとして種子法が廃止された。自治体などが育成した種の知見を民間へ譲渡させる仕組みもつくられた。さらに、農家が自家採種できるままだと次から種が売れなくなるからと、自家増殖を原則禁止する方向へ種苗法改定が行われた。表向きの大義名分は「シャインマスカットが中国や韓国に取られたから、日本の種を守る」というものだったが、実際には企業に種を渡して独占させる流れを強めてきた。そこへ、今回の新法・改定が重なっている。
そもそも種は誰のものなのか。何千年もかけて、多くの人々が育ててきた共有財産である。地域ごとに根づき、多様な種が育まれてきた。それを、一部の企業が少し新しい形質を加えたからといって長期に独占し、利益を増幅させていくのは、種の公共性に反する。農家は自家採種しにくくなり、種を自由に使えない期間も長くなる。それは、地域に根ざした品種の保存や地域社会の持続そのものに対する脅威である。
「飢えるか、植えるか」
草の根からのローカル自給圏
政府が農業・農村と国民の食料を守る方向に逆行する政策を強めるなら、国民1人ひとりが、やれることをやるしかない。この状況を変えられるとしたら、それは農家だけでなく、国民1人ひとりの行動であろう。
1人ひとりが、自分でも野菜を育てたり、流通を担ったりすることで、国の応援がなくとも、食料生産を増やしていくことができるはずだ。これを私は、佐伯康人さんの言葉を借りて「飢えるか、植えるか」運動と呼んでいる。
こうした運動は1人では心もとないが、草の根レベルから広がっていけば、大きな動きとなるだろう。小谷あゆみさんにならい「ローカル自給圏」と呼んでいるが、そうした動きが続々と起こっている。
筆者の講演会に参加したのを契機に、地元の市民グループが決起し、耕作放棄地を再生する活動を始めた、といった話をたくさんうかがっている。希望の芽は確実に広がっている。
いざというときに、シェルターに隠れながらも食べるものがなくて餓死する、といった状況はあってはならない。「令和飢饉」を食い止めるために、いまこそ1人ひとりの覚悟が求められるといえるだろう。
<PROFILE>
鈴木宣弘(すずき・のぶひろ)
1958年生まれ。東京大学農学部卒業後、農林水産省に入省。2006年から24年まで東大大学院教授、現在は同特任教授・名誉教授。専門は農業経済学。三重県志摩市の半農半漁の家の一人息子として生まれ、田植え、稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、うなぎのシラス獲りなどを手伝い育つ。安全な食料を生産し、流通し、消費する人たちが支え合い、子や孫の健康で豊かな未来を守ることを目指している。『日本の食料安全保障とはなにか?』(共著、かや書房)、『令和の米騒動』(文春新書)など著書多数。











