ロージンオノマトペ?

大さんのシニアリポート第160回

 オノマトペとは、擬音語、擬態語をいう。「はらはら」「ドキドキ」のアレである。運営していた高齢者の居場所「サロン幸福亭」では、高齢者ゆえなのか話す言葉はオノマトペの連続。「ほら、ピカピカしているアレよ、アレ」「ギトギトしていたんだ」の例のごとく。順序立てて正確な言葉で話すことはもう無理の世代。内容が何となく伝わればそれで問題ない。他人には何のことなのか皆目見当もつかないのだが、会話が成り立てばそれで十分。もっとも若い世代の話には到底ついていけない我々高齢者にとって、オノマトペは最高の武器なのだ。

人生の最後に至高の言葉を連発

イメージ    『「擬音語・擬態語」使い分け帳』(山口仲美・佐藤有紀=共著)の「はじめに」で、「擬音語・擬態語は、普通の言葉と違って、発音が意味に直結しています。『どきどき』という発音そのものが、心臓の鼓動を写しています。『はらはら』も、どうなるかと気をもみ、冷や汗や汗を滴り落とす様子をいかにもそれらしく映しとっています。つまり、発音がそのまま意味になっている。こういう語群で意味の違いを考えるということは、日本語の音と意味に対する感性を磨くのに最適なのです。それは、言葉を的確に使っていくのに役立つ言語感覚を育てます」とある。つまり、サロンの常連が話す言葉は言語の本質をついていたことになるという不思議さ。

 認知症当事者(呆けた人の最新呼称)の会話には主語が存在しないことが多い。存在しなくても互いの意思は十分に通じ合うのだ。40数年前、母を看るため夫婦で帰郷した。老人病棟(当時介護関係の施設が極端に少ない時代)に入院していた母を夫婦交代で看た。そのとき、呆けた(当時認知症という言葉はない)高齢者が院内を複数人で歩き回るのを見たときに確認した。各自ばらばらに話すのに、相槌をうちあう。ゴミを拾って包んだ新聞紙をそのまま一緒にいた人に手渡す。受け取った人はそれをそのまま懐に入れる。私から見れば意味不明の会話や行動なのだが、仲間には通じ合う。認知症当事者だけが共有できる言葉があるわけではない。話の中身が問題なのではなく、仲間として「一緒にいる」という安心感。それだけで十分に幸せなのだという。

 それにしてもサロンの常連の主語のない会話と、認知症当事者たちの会話をどう区別すればいいのか正直難しい。18年もの間運営していれば認知症の人たちも増え、50人を超す常連客が天国に召されるのも必然といえる。考えてみると、サロンは天国行のバスの待合室のようなものだ。そこで知り合った人たち同士が、最強の言葉、オノマトペを駆使しながら会話する。これほど幸せなことはないのかもしれない。

作家もオノマトペ好き

イメージ    山口仲美氏の名著、『犬は「びよ」と鳴いていた』が面白い。「江戸時代まで日本人は犬の声を、『びよ』とか『びょう』と聞いていたんですね」「鶏の声は、現在は『こけこっこー』ですね。でも、昔の文献を丹念にたどって行きますと、江戸時代は『東天紅(とうてんこう)』と聞いたことが明らかになってくる。『とっけいこう』『とってこう』なんていう鶏の声もある」「奈良時代の人は、カラスは『コロク』と聞いている」と今では考えられない鳴き声だ。言葉が時代とともに移り変わるように、擬音語、擬態語も変わるものなのだ。

 オノマトペ好きな作家や詩人が多いことに驚かされる。田辺聖子氏の小説『男はころり女はごろり』で、「片や、女、赤ちゃん、びろうど、猫が、フワフワ、しっとり、スベスベ、だとすると、片や男というものは、『老いたる若きもろともに』ゴツゴツ、ザラザラ、ギシギシ、カサカサである」とオノマトペ満載。詩人の草野心平氏にいたっては、「ぐりりににぐりりににぐりりにに/るるるるるるるるるるるるるるる/ぎゃッぎゃッぎゃッぎゃッぎゃッ/ぎやるるろぎやるるろぎやるるろ/げぶららららららげぶららららら」(「第八月満月の夜の満潮時の歓喜の歌」『草野心平全集』巻一)とこれまたオノマトペだけで詩をつくってしまう。(同書より引用)

 朝日新聞(26年5月7日)紙上で、オノマトペを研究する小野正弘明治大教授が興味深い発言をしている。最近人気のあるシマエナガを「もふもふ」と形容する。胴体が柔らかい毛で覆われている様子をよく捉えている。この「もふもふ」が朝日新聞の紙面に登場したのは、08年の川上未映子さんのコラムが初めてだという。昔から使われていた気がしていたのだが、まだ20年にも満たないことに驚かされる。教授は、「意味変化は『しっぽを残す』と話す。もともとあった言葉のニュアンスを残しながら、意味の関連性を失わずに伝えていくという。たとえば『時間や手間をかけずに終わらせる』という『さくっと』の新用法がある。本来『さくっと』がもつ『あるものに抵抗なく別のものを差し込む』という意味の『抵抗なく』というニュアンスが引き継がれていると見る。オノマトペは『抽象的な側面と具体的に使われる場をうまく行き来する言葉です』」と。

 オノマトペとはニュアンスが似ている言葉に、「オタク用語」がある。名古屋短期大学の学生が『オタク用語辞典』をつくった。辞典名を「大限界」。日本初の近代国語辞典「言海」の増補改訂版「大言海」と、「痛々しさが許容度の限界を超えたオタク」を指す「限界オタク」を掛け合わせたタイトルで、129ページ、821語を収録する優れもの。たとえば、「推し」の項で、「リアコ」は、「リアルに恋している」「リアルな恋」の略。

 「DD」は、「誰でも大好き(Daredemo Daisuki)」の略。「同ペン」は、「誰かと同じ人のファンであること。ペンは韓国語でファンの意味」。年寄りにはまったく理解しがたい用語。朝日新聞(22年11月27日)からの引用で、4年も前の記事だからもう言葉自体が古くなっているのかもしれない。

イメージ    「ちゃらんぽらん」というオノマトペは、「チャランド・パランド」というイランの公用語であるペルシャ語が本家らしい。イランでも日本語と同じ「いい加減な」の意味をもつ。日本語も中国や朝鮮の文化とともに渡来し、日本特有の言葉に成熟させた。現在も「ちゃらんぽらん」のように、外国語が源流の日本語が少なくない。オノマトペも奈良時代以前から存在するという。前出の小野教授は、「歴史的に使われてきた日本語のオノマトペは、約5千語で、日本語の1%を占める。古くは現存する日本最古の書物、古事記に見つかる。長い時間のなかで、意味も変化してきた」と。何気なく話す会話のなかでオノマトペの占める割合は大きいのだ。

オノマトペは
若者文化を象徴するアイテム

 テレビで若い男性アイドルたちの会話を聞いて驚いた。1人が「バーっと行って、ガーっと食おうよ」というと、全員納得顔でその場を去った。これなどはまだいい方なのかもしれない。思い起こしてみると、「ナウい」「ガチ」「エモい」「えぐい」「ウケる」「刺さる」などというのはもう古いのかもしれない。「それな」/その通り。「レべち」/格別。「ぴえん」/憂える。「りょ」/承知した。「勝たん」/勝るものはない。「プルい」/唇がプルプルしている。「あげぽよ」/気分が上がる。/「いつメン」/いつものメンバー。「乙」/お疲れさま。/「MK5」/マジで切れる5秒前。/「彼ピッピ」/友達以上、恋人未満。「ググる」/Googleで検索。「リア充」/現実社会で充実する。

イメージ    現在使われている若者言語(私はこれを「若者オノマトペ」だと解釈している)はこの何倍も流行し、「しっぽを残しながら」変化し続けていくのだろう。何のことはない。高齢者より若い世代の方がより普通にオノマトペのなかで生活しているのだ。オノマトペは高齢者の専売特許というのは間違いらしい。「アレ」「ソレ」「だね」「だよ」「だな」だけで会話を成立させてしまう。これって言語学上オノマトペの範疇かどうかは別として、高齢者の卓越した話術といえるのではないか。


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

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