現代日本の政治的病(1)末法世界

福岡大学名誉教授 大嶋仁氏

 平安時代の日本人は「末法思想」に取りつかれていたという。「末法」とは、仏教の歴史観でいう「最悪の1万年間」を指す語である。その前の1000年間は「像法」といい、仏教の形骸だけはまだ残っていた。さらにその前の1000年間は、まだ仏教が生きていた時代と言われている。

 私たちの生きている現代は、仏教が生まれてから2500年しか経っていない。だが、最初の2000年は過ぎている。だから、まさに「末法」のなかにあるといえる。「世の末」とはこのことで、もはやどこにも「法」はない。「法」とは仏教では真理を指すが、それが見失われれば、人は路頭に迷うほかない。

 かつてあった「よきもの」は見失われ、物ごとの価値がなくなり、人々は判断力を失う。自分がどこにいるのか見えなくなる。それが私たちの時代で、もはやどのような情報も当てにならない。

 この時代傾向は、アメリカの大統領ドナルド・トランプが体現している。彼は自分でいろいろ決めているつもりかもしれないが、眼に見えない大きな力に翻弄されている。その大きな力を「ディープ・ステート」(Deep State)と呼ぶ人もいるが、その正体は依然として不明である。

 いわゆる「陰謀論者」がいうには、一部の「超国家的エリート集団」が世界を動かしているのであって、その集団があちこちで紛争を起こし、巨大な利益を吸い上げているという。しかし、世界の諸問題を一部の「悪魔的集団」のせいにすれば、それで済むとは思われない。問題はむしろ「私たち」にあるのではないか。ドストエフスキーの『悪霊』はテロリスト集団の心理を描いているが、その心理は私たちのものでもあるに違いない。

 そのような観点から、現在の日本政治の在り方を明確にしようとする試みが、適菜収氏の『高市早苗という病』である。新書として出たこの本は「ベストセラー」になっているそうだが、当然のことのように思われる。

 この本はタイトルが見事で、つい読みたくなる。そして読んでみると、現首相の高市早苗には何の思想もないが、自己愛だけがあり、衆目を浴びることに生涯を賭けてきたことが示されている。

 なるほど、適菜氏の手になる高市像は、私たちがテレビなどで見るところと隔たりがなく、それゆえ納得がいく。「これほど知的要素の乏しい首相は生まれて初めて見た」とは、多くの識者の感想であろう。ところが、トランプ同様で、この大衆文化時代においては、そういう人が「人気」を得るのである。無能無知にもかかわらず、いまだに支持率が50%前後であることが、それを物語っている。

 適菜氏の書きぶりには、高市首相への激烈な嫌悪が感じられる。だが、その嫌悪が「現代日本の病」という表現をともなっていることにこそ注目すべきだろう。氏が本当に嫌悪しているのは、高市早苗その人ではなく、そのような人を首相の座に座らせている現代日本の政治システムなのである。

 一体、誰がこんな軽薄なナルシストを首相にしてしまったのか。そこに氏は嫌悪以上に驚愕し、ある種の恐れを抱いているかに見える。では、その恐怖の正体とはなにか?

 氏がニーチェに共鳴する人であることを知ると、氏が何を恐れているのかが見えてくる。氏は政治的な混乱や経済的な衰弱以上に、日本人の精神の荒廃を恐れているのだ。

 では、その荒廃を防ぐには何をすればよいのか?適菜氏はそこまでは書いていない。氏の狙いは、読者に「自分たちの生きている国の現状」を知らしめることにあるのだろう。「現状を知らなくては、何事も始まらない」ということなのだ。

 『高市早苗という病』を書くにあたって、氏は高市支持者の反発を予測したにちがいない。しかし、そうした反発が根拠のないものだとわかっていたので、どんどん書き進めたのだ。氏が苦々しく思っているのは、自民党内に高市を首相に選んだ人が多かったことだ。彼らは「ネット右翼」などとはちがって、高市の弱点や欠点を知っているはずなのに、彼女を首相にしてしまったのだ。

 では、どうして高市を選んだのか。今日のようなフェイク情報の氾濫する時代において、最も簡単に人気を得やすいのが高市だったからだろう。その策は当たった。大当たりだった。高市が首相になってからの自民党は、それまでの盟友公明党と縁を切ったにもかかわらず、選挙で未曽有の勝利を収めたのである。

 つまり、高市は自民党にとっては「ドル箱」だった。ところが、今やその「ドル箱」が中身のない「空箱」であることが判明した。となると、彼女は自民党にとって「用済み」のはずである。だが、彼女はそれでもかなりの支持率を得ている。彼女に代わる「魅力」ある人物を見つけることができない。

 適菜氏に戻れば、氏は高市早苗を現代日本の「病」と重ねている。あえて「自民党の病」とは言っていないのは、自民党が「絶対多数」であるという政治状況をつくったのは日本国民だからだ。つまり、「病」は国民にあるのだ。

(つづく)

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